先日LSEにきて初めてのグループプレゼンテーションを終えました。ここで感じたことを忘れないように書いておきます。
まずグループ内で多様な価値の出し方があるということ。今回は5人グループだったのですが、リーダー的にファシリテートをしてくれた彼女を見てて学ぶことは多かったです。
正しい人がリーダーをするわけではない。彼女はいつも議論の突破口をグループ内で作ってくれました。みんな確信がもてない中で違うかもしれないけれどとりあえず議論を初めてみる。そうするとそこから広がります。
フィードバックの仕方。必ず褒めること。人はどうしても出来ていることより、出来ていないことに目が行きがちです。でも彼女は 4褒めて1改善点をいうぐらいのバランスでいつもフィードバックをしていました。そうするとされた人も改善点の指摘を前向きにとらえられるような気がしました。
フォロワーとリーダーの両面を持って使いわけること。アメリカ人の子が言っていて気がついたのですが、LSEは出しゃばる人ばかりでなくて協力的なのでとても良いと言ってました。5人中5人がリーダー格で主張しあうとグループはうまくいかないのは容易に想像できます。リーダーに向いている、向いていないも必ずあると思いますが、LSEに来る人はきっとリーダー的な立ち位置にいた人は多いのではと思う中で、その使い分けをきちんとすることがグループワークをする中でとても大切だなと思いました。
場への貢献が人の評価に結びつく。これは前から感じていましたが、アクションを実際におこしてその場に貢献しようという意識がとても高いとです。日本だとその場にいるだけでまずは認められているような気がしますが(アクションを起こさない人が多いから?)、こっちでは発言しないと「いないも同然」というプレッシャーをとても感じます。ただ「認められたい」という動機で発言しているというよりも、「意見を交わすことが楽しい、良い時間や場をつくりたい」という動機の方がおそらく強く、議論をしながら物事を生み出すことに慣れているように感じます。
プレゼンテーションではフローがとても大事。プレゼンはいくらでも小難しくできますが、聴衆がいる限り、その人たちが初回でいかにすっと理解して議論につなげられる興味をもってもらえるかが大事だなと感じました。その時に全体の流れがいかにスムーズであるか、大目的の問いから逸れないか。
今回において自分が出せた価値の一つは根気よく取り組むこと。もう分からないとグループ名との子が若干なげやりになっていた時に諦めないで、「こうしたらどうかな?」と提案できたことは良かった。あとは最終ミーティングで「もういいんじゃない?」という雰囲気の中で、プレゼンの流れに対する自分の心配を素直にぶつけたことは、メンバー全員で流れを見直して改善点を見つけたことにつながった。もう一つ出せた価値は、議論の引き際を見極めること。最初から完璧にこだわらないで、進めながら改善点を積み重ねていく方が早い。これは前職で学べたことで役に立った気がしました。
出せなかった価値は議論を刺激するアイディアや視点を提供すること。そもそも内容の理解ができていなかったこと、議論が7割ぐらいしか理解できていなかったこと、与えられた情報を飲み込むのに精一杯で自分で情報を探しにいくことまで労力をさけなかったことあたりが原因。
2015年10月30日金曜日
学問から得られること
LSEは最初のmIchaelmas Termが11週間ありますが、今週で5週目が終わろうとしています。もう少しで半分です。目の前のことに追われていたらあっという間。
公共政策という学問を勉強し始めて、今私が思う学問から得られることを書きたいと思います。なぜかというと、仕事をしている時に比べて圧倒的に自分が社会に還元している価値が見えにくく、周りからのプレッシャーからも仕事と比べるとほぼないので、「何のために今学生をしているのだっけ?」と考えることが多いからです。
○ 今受けている授業
マクロ&ミクロ経済学、計量経済学、政治と公共政策、パブリックマネジメントの4つ。基本的には各授業、週2時間講義、週1〜1.5時間セミナーです。講義はレクチャーベースで1年生はほとんど基礎理論を学んでいます。セミナーでは理論を用いた問題を解いたり、それを現実のケースと比べたディスカッション、ケーススタディ、グループプレゼンテーションの組み合わせです。基本的には理論と分析ツールを勉強しています。
○ 学問を通して得ているもの
大学院というと最近はMBAに行って現実と照らし合わせた知識を得るイメージですが、学問全体から見るとかなり別格だと思います。他の学問のことは詳しくはないですが、LSEの公共政策は割とお堅く理論に忠実です。
理論と分析ツールを勉強して私が今得ているもの(得られるであろうもの)は4つだと思っています。
・教養
・今まで持っていなかった物事をみる視点
・社会全体を因果関係のメカニズムとして捉える力
・現在の延長にある未来の予測
教養は純粋に知らない世界がたくさんあることを実感するということです。例えば政治学でstrategic voting, compulsory votingというテーマを勉強したのですが、そんな学問があること、そして現実でおこっていること初めてきちんと勉強しました。選挙制度によって投票者がどんな戦術を使うのか、それを利用して政治家はどう選挙活動をするのか、それによって起こりうる問題を勉強しました。純粋に日本の政治制度をもっと勉強したいと思えました。学問はこの繰り返しがとっても多いと思います。特に海外で勉強していると全て海外の事例で学ぶので、日本てどうなっているのだろうか?という疑問を常にかきたてられます。
あとは新しい視点から物事をみることができるようになりそうだと思いました。単純な開発の例ですが、アメリカのアフリカの食糧支援の方法の議論を理論と照らし合わせてしていた時でした。今までは支援するアメリカと支援を受ける住民という大きなプレイヤーの関係しか見えていなかったのが、アメリカ側で支援をすることで利益を得ている人は?アフリカ側で損している人は?という問いをもらい、食糧の需要と供給を考えた時に今までぼやーっとして見えていなかった関係が頭でくっきり描けました。
経済学は世の中の事象の因果関係のメカニズムを理解するための考え方とツールを提供する学問です。私はまだその実感をもてていませんが、基本的に、論文を読んでいても理論を説明し、実際の事例にあてはめて証明するものが多いです。論文も1900年代前半のものを読むこともあり、それだけ積み重ねてきた知識なのだから理論の勉強に時間かかることを納得させている自分もいます。
あとは前の項目に関連して、過去の分析力を身につけることは原因と結果の関係の傾向をつかむことなので、現在の延長にある未来の予測ができるようになると思っています。例えば政策の効果を推定することはまさにそうです。また、各理論にはそれぞれ前提条件というものがあります。単純な例でいえば会社は利益を最大化する、消費者は多くのものを消費したほうが幸せを感じる。けれどもこれらの前提条件がいつまで通用するのか、通用しなくなった時に社会の仕組みはどう変化するのか。未来を予測するヒントが隠れています。
ただ友達と話していて思ったことは、現在の延長線上にない発想からくる新しい未来や変化は現場から起こるということです。学問は基本的には新しいものや変化を追う立場であると。だから実際に新しいものや変化を生み出したいことに興味がある人は学問に向いてないのかもしれません。
公共政策という学問を勉強し始めて、今私が思う学問から得られることを書きたいと思います。なぜかというと、仕事をしている時に比べて圧倒的に自分が社会に還元している価値が見えにくく、周りからのプレッシャーからも仕事と比べるとほぼないので、「何のために今学生をしているのだっけ?」と考えることが多いからです。
○ 今受けている授業
マクロ&ミクロ経済学、計量経済学、政治と公共政策、パブリックマネジメントの4つ。基本的には各授業、週2時間講義、週1〜1.5時間セミナーです。講義はレクチャーベースで1年生はほとんど基礎理論を学んでいます。セミナーでは理論を用いた問題を解いたり、それを現実のケースと比べたディスカッション、ケーススタディ、グループプレゼンテーションの組み合わせです。基本的には理論と分析ツールを勉強しています。
○ 学問を通して得ているもの
大学院というと最近はMBAに行って現実と照らし合わせた知識を得るイメージですが、学問全体から見るとかなり別格だと思います。他の学問のことは詳しくはないですが、LSEの公共政策は割とお堅く理論に忠実です。
理論と分析ツールを勉強して私が今得ているもの(得られるであろうもの)は4つだと思っています。
・教養
・今まで持っていなかった物事をみる視点
・社会全体を因果関係のメカニズムとして捉える力
・現在の延長にある未来の予測
教養は純粋に知らない世界がたくさんあることを実感するということです。例えば政治学でstrategic voting, compulsory votingというテーマを勉強したのですが、そんな学問があること、そして現実でおこっていること初めてきちんと勉強しました。選挙制度によって投票者がどんな戦術を使うのか、それを利用して政治家はどう選挙活動をするのか、それによって起こりうる問題を勉強しました。純粋に日本の政治制度をもっと勉強したいと思えました。学問はこの繰り返しがとっても多いと思います。特に海外で勉強していると全て海外の事例で学ぶので、日本てどうなっているのだろうか?という疑問を常にかきたてられます。
あとは新しい視点から物事をみることができるようになりそうだと思いました。単純な開発の例ですが、アメリカのアフリカの食糧支援の方法の議論を理論と照らし合わせてしていた時でした。今までは支援するアメリカと支援を受ける住民という大きなプレイヤーの関係しか見えていなかったのが、アメリカ側で支援をすることで利益を得ている人は?アフリカ側で損している人は?という問いをもらい、食糧の需要と供給を考えた時に今までぼやーっとして見えていなかった関係が頭でくっきり描けました。
経済学は世の中の事象の因果関係のメカニズムを理解するための考え方とツールを提供する学問です。私はまだその実感をもてていませんが、基本的に、論文を読んでいても理論を説明し、実際の事例にあてはめて証明するものが多いです。論文も1900年代前半のものを読むこともあり、それだけ積み重ねてきた知識なのだから理論の勉強に時間かかることを納得させている自分もいます。
あとは前の項目に関連して、過去の分析力を身につけることは原因と結果の関係の傾向をつかむことなので、現在の延長にある未来の予測ができるようになると思っています。例えば政策の効果を推定することはまさにそうです。また、各理論にはそれぞれ前提条件というものがあります。単純な例でいえば会社は利益を最大化する、消費者は多くのものを消費したほうが幸せを感じる。けれどもこれらの前提条件がいつまで通用するのか、通用しなくなった時に社会の仕組みはどう変化するのか。未来を予測するヒントが隠れています。
ただ友達と話していて思ったことは、現在の延長線上にない発想からくる新しい未来や変化は現場から起こるということです。学問は基本的には新しいものや変化を追う立場であると。だから実際に新しいものや変化を生み出したいことに興味がある人は学問に向いてないのかもしれません。
2015年10月22日木曜日
教養レベルが低い
こちらにきてつくづく身にしみているのが、自分の教養レベルが低いこと。
以前ロンドンで再会した友人と、
言語はただのツールに過ぎず伝えるのは自分の国のことという話をしたけど
本当にその通りです。
○教養とは何か
ネット上のgoo辞書でひくと下記のように出てきます。
いきなり小グループに分かれて話し合う時間が設けられました。"in the world"という言葉に、日本の問題ならまだしも、世界の問題をあまり真剣に考えたことない私は一瞬固まりました。話し始めて皆の関心は"Inequality"にあることが分かったのですが、私にとってはそれについて主張するほど身近に感じたことがなく、あまり議論に貢献できずに終わってしまいました。初日にとても悔しい思いをしました。
その後も授業は専門コースの関係上、経済や政治の話しが多いのですが、とにかく知らない概念が多い。イギリス出身でない人と話しても皆自分の国の制度を比べながら理解したり議論をしているのに、なかなかそのレベルについていけていない。日本の農産物に対する政策や日本の選挙制度に対することを紹介しながら議論すればいいのは分かるのだけど、紹介するほど知らない自分がいます。
○どうやったら教養が身につくのか
ポイントは、内容をきちんと理解できるか、どれだけ自分ごととして読んでその場限りのトピックにしないか。多分今まで絶対勉強する機会があったのだけど、血や肉になってないのは知識の深堀りや活用をせず暗記で終わってしまったからだと思います。友達と少しでも議論して考えを深めたり、自分とのつながりを考えるだけで、残る知識になりそうですが、わからないのでトライしてみます。
今からできることを考えています。
1.毎朝時間を決めて日本と世界の時事ニュースをチェック
短時間でもいいから、1日一つでも新しい概念を知るだけでも1年経てばだいぶ変わってきそう。今まで何回かトライし、ルーティーンまで至らなかったことですが、必要に迫られたので、またトライしてみます。
2.気になったことをメモして、丁寧に調べること
近道はないので、その場その場で適当にせずに地道に事実ベースで調べることが大切だろうと思います。「忘れたらまた調べればいいこと」ぐらいの気持ちで取り組みたいと思います。
以前ロンドンで再会した友人と、
言語はただのツールに過ぎず伝えるのは自分の国のことという話をしたけど
本当にその通りです。
○教養とは何か
ネット上のgoo辞書でひくと下記のように出てきます。
- ㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
- ㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い―のある人」「―が深い」「―を積む」「一般―」
私個人としては、物事に対する理解力、社会生活を営む上で必要な文化に対する広い知識という定義にしっくりきます。「知っている」というよりも「理解している」というレベルが必要。あとは、こちらの人はとにかく良く話し、話の幅が広い。何ともない会話から、歴史や政治制度、経済、芸術の話等まで割と日常会話に出てきても不思議ではないです。
○いつ自分の教養が低いと感じるか
LSE初日登校日に面食らったトピック。
"What is the most pressing issue in the world? How can we solve it?"
いきなり小グループに分かれて話し合う時間が設けられました。"in the world"という言葉に、日本の問題ならまだしも、世界の問題をあまり真剣に考えたことない私は一瞬固まりました。話し始めて皆の関心は"Inequality"にあることが分かったのですが、私にとってはそれについて主張するほど身近に感じたことがなく、あまり議論に貢献できずに終わってしまいました。初日にとても悔しい思いをしました。
その後も授業は専門コースの関係上、経済や政治の話しが多いのですが、とにかく知らない概念が多い。イギリス出身でない人と話しても皆自分の国の制度を比べながら理解したり議論をしているのに、なかなかそのレベルについていけていない。日本の農産物に対する政策や日本の選挙制度に対することを紹介しながら議論すればいいのは分かるのだけど、紹介するほど知らない自分がいます。
○どうやったら教養が身につくのか
ポイントは、内容をきちんと理解できるか、どれだけ自分ごととして読んでその場限りのトピックにしないか。多分今まで絶対勉強する機会があったのだけど、血や肉になってないのは知識の深堀りや活用をせず暗記で終わってしまったからだと思います。友達と少しでも議論して考えを深めたり、自分とのつながりを考えるだけで、残る知識になりそうですが、わからないのでトライしてみます。
今からできることを考えています。
1.毎朝時間を決めて日本と世界の時事ニュースをチェック
短時間でもいいから、1日一つでも新しい概念を知るだけでも1年経てばだいぶ変わってきそう。今まで何回かトライし、ルーティーンまで至らなかったことですが、必要に迫られたので、またトライしてみます。
2.気になったことをメモして、丁寧に調べること
近道はないので、その場その場で適当にせずに地道に事実ベースで調べることが大切だろうと思います。「忘れたらまた調べればいいこと」ぐらいの気持ちで取り組みたいと思います。
2015年10月15日木曜日
言葉の壁にぶつかって思うこと
留学してちょうど1カ月強経ちました。
思ったより高い壁が英語。
持ち前のお気楽さでどうにかなるだろうと思ってましたが、
頑張らないとどうにもならなそうと身にしみている今です。
一番大きな理由は学んでいる内容が簡単ではない、
ということに尽きると思います。
日本語でも知らない概念をゼロから英語で学んで理解できるかどうかは、
語学力が直結しているとつくづく実感しています。
修士課程をなめてはいけないなと思いました。
現状の自分の英語能力を感覚で計ると、
読み:同じ文献読むのにネイティブの3倍〜4倍かかる。
書き:エッセイを書く際のフォーマルな単語は辞書をひかなければいけない
聞く:講義の理解は8割。
途中でクラスメイトから飛んでくる質問内容の理解は4〜5割。
普通の会話の理解は7割。
訛りのある英語の理解は0〜4割。
話す:自分の思っていることはニュアンスまで大体伝えられる。
ネイティブ同士の会話に対等に参加するのはかなり難しい。
話すスキルの不安よりも理解力の不安から発言をためらうことが多い。
参考までに、今まで受けたテストはTOEFLが95前後、IELTSが7。
今疑問なのは、ネイティブになれることは一生ないとして
第二言語はどこまで獲得できるのか?
今登っている階段がとても高い気がしています。
成長曲線のように、ずーっと下積みを終えていきなりキュッとあがるイメージ。
あとは何となくですが、自分の日本語レベルや知識レベルも関係ありそう。
日本語で論文読んで理解できないなら、英語で読んで理解できないのは、
語学力よりも読解力の問題。
そして読解力は自分の持っている背景知識にも大きく影響する。
だから語学力だけではなく、背景知識等もつけていかねば。
定期的に自分の語学レベルの変化を計りたいです。
現状において気をつけたいのは3つ。
1 できないからこそ英語を使いまくること
コンプレックスを持つとできるだけそれを避けようとしてしまいますが、
英語コンプレックスは向き合い続けなければいけないものなので、
早く克服するためにできない英語を使いまくることがとても大切。
言語ができないときに基本的に恥ずかしい思いをするのは自分だけなので、
自分に負けないことが一番大切。
さぼらず地道に取り組むしかない気がします。
2 言語評価と自分評価を結びつけないこと
言語がうまく使えないことは意思疎通がうまくできないこと。
特にアカデミックの世界は基本的に言語を使って批判的に意見交換し
深い示唆を得るプロセスなので言語ハンデはかなりの痛手。
授業で議論に参加できなかったり、教授の言っていることが分からないと、
その場の自分の存在意義がないように感じてしまうことも正直しばしば。
しかもその自分が本当の自分だと
他のクラスメイトに思われているだろうから、かなりストレスフルです。
かなり悔しいです。あぁーーーという感じ。
負のサイクルに落ちいらないように、
この状態を自己評価に直結させないようにしたい。
3 言語を使わないで自分が出せる存在価値や個性を見つけること
言語に不自由になって
自分への信頼や自信は言語に頼っている部分が多いのかもしれない
と気づきました。
けれど大きな視点で見てみると言語に得意な人だけではないことに気づく。
そうなると自分の存在価値は他のところで出せるのではないかと思ってます。
周りに常に気を配れる人であること、
物事に対する真摯な姿勢、
常に挑戦し自分や周りに良い影響をもたらすこと、
等は、言語がうまく使えずとも出し得る自分の存在価値。
思ったより高い壁が英語。
持ち前のお気楽さでどうにかなるだろうと思ってましたが、
頑張らないとどうにもならなそうと身にしみている今です。
一番大きな理由は学んでいる内容が簡単ではない、
ということに尽きると思います。
日本語でも知らない概念をゼロから英語で学んで理解できるかどうかは、
語学力が直結しているとつくづく実感しています。
修士課程をなめてはいけないなと思いました。
現状の自分の英語能力を感覚で計ると、
読み:同じ文献読むのにネイティブの3倍〜4倍かかる。
書き:エッセイを書く際のフォーマルな単語は辞書をひかなければいけない
聞く:講義の理解は8割。
途中でクラスメイトから飛んでくる質問内容の理解は4〜5割。
普通の会話の理解は7割。
訛りのある英語の理解は0〜4割。
話す:自分の思っていることはニュアンスまで大体伝えられる。
ネイティブ同士の会話に対等に参加するのはかなり難しい。
話すスキルの不安よりも理解力の不安から発言をためらうことが多い。
参考までに、今まで受けたテストはTOEFLが95前後、IELTSが7。
今疑問なのは、ネイティブになれることは一生ないとして
第二言語はどこまで獲得できるのか?
今登っている階段がとても高い気がしています。
成長曲線のように、ずーっと下積みを終えていきなりキュッとあがるイメージ。
あとは何となくですが、自分の日本語レベルや知識レベルも関係ありそう。
日本語で論文読んで理解できないなら、英語で読んで理解できないのは、
語学力よりも読解力の問題。
そして読解力は自分の持っている背景知識にも大きく影響する。
だから語学力だけではなく、背景知識等もつけていかねば。
定期的に自分の語学レベルの変化を計りたいです。
現状において気をつけたいのは3つ。
1 できないからこそ英語を使いまくること
コンプレックスを持つとできるだけそれを避けようとしてしまいますが、
英語コンプレックスは向き合い続けなければいけないものなので、
早く克服するためにできない英語を使いまくることがとても大切。
言語ができないときに基本的に恥ずかしい思いをするのは自分だけなので、
自分に負けないことが一番大切。
さぼらず地道に取り組むしかない気がします。
2 言語評価と自分評価を結びつけないこと
言語がうまく使えないことは意思疎通がうまくできないこと。
特にアカデミックの世界は基本的に言語を使って批判的に意見交換し
深い示唆を得るプロセスなので言語ハンデはかなりの痛手。
授業で議論に参加できなかったり、教授の言っていることが分からないと、
その場の自分の存在意義がないように感じてしまうことも正直しばしば。
しかもその自分が本当の自分だと
他のクラスメイトに思われているだろうから、かなりストレスフルです。
かなり悔しいです。あぁーーーという感じ。
負のサイクルに落ちいらないように、
この状態を自己評価に直結させないようにしたい。
3 言語を使わないで自分が出せる存在価値や個性を見つけること
言語に不自由になって
自分への信頼や自信は言語に頼っている部分が多いのかもしれない
と気づきました。
けれど大きな視点で見てみると言語に得意な人だけではないことに気づく。
そうなると自分の存在価値は他のところで出せるのではないかと思ってます。
周りに常に気を配れる人であること、
物事に対する真摯な姿勢、
常に挑戦し自分や周りに良い影響をもたらすこと、
等は、言語がうまく使えずとも出し得る自分の存在価値。
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