2017年7月18日火曜日

ヨーロッパのまちづくりが日本にそのまま当てはまらない理由

20177月に友達と45日で環境都市(特に交通政策を基幹としたまちづくり)として有名なドイツのエアランゲン(Erlangen)・フライブルグ(Freiburg)とフランスのストラスブール(Strasbourg)に行ってきました。

現地での講義は、高松平蔵さん@エアランゲン、Innovation AcademyHongさん@フライブルグ、市役所交通課のベルゼさん@ストラスブールにお願いしました。当日はスライド等を使って現在の取り組みだけでなく、それを可能にした歴史的、社会的背景や取り組みの効果等も詳細に説明してもらいました。(高松さんとInnovation Academyは随時視察を受け付けているようなので、興味あったらぜひご連絡をしてみて下さい)

結論からいうと、「目に見えている表面的な取り組みだけを日本に持ってきても上手くいかない」ということだと理解しました。なぜなら、それが可能になったのは、根底にある人々の価値観、コミュニティの成り立ち、そして地方分権によって培われた都市の自治が大きく影響している印象を受けたからです。

(以下、相当な長文になります)

l   教養市民の存在と蓄積された自治力@ドイツ(高松さん講義)

19世紀の工業化により都市への人口集中が起き様々な社会問題が発生するなかで、秩序を保つために必要とされた都市政策やマネジメントが必要となり、その役割を大きく担ったのが都市官僚と教養市民らしいです。この時代には各都市に憲法(住民の権利などを記したもの)、法典、裁判制度の原型となるようなものも出来たらしく、これらが後世に明文化して伝えられる都市の「物語」の基盤となったらしいです。

さて、都市間での交易が盛んになるにつれて各都市が「われわれのまち」というアイデンティティを強く持ち始めました。その「らしさ」がまちづくりでも大きな役割を担ったらしいです。「教養市民」という言葉はかなり抽象的ですが、私が思うに「文化的そして社会的な教育を受けていて、コミュニティにとって何が善悪なのかの区別がついた市民」のことだと思います。よって、都市官僚と教養市民が中心になったまちづくりでは、どのような社会インフラ、産業、そして文化を育むかについての共通認識が高い「教養」レベルで擦り合わせがとれていたらしいのです。


l   まちづくりにおける社会的・文化的・経済的なバランス

そもそも三都市において共通している交通政策は、中心地への車の乗り入れを禁止しトラム(LRT)を導入することでした。引き金となったのは1960年代の経済成長とそれに伴うモータリゼーションによって生まれた弊害に対する危機感。1970年代には環境問題やコミュニティの分離に対する運動が起こりました。それから都市の過去の物語の再発見への意識も高まり現在の都市はその上に構築されるようになります。例えば以前からまちの中心であった教会の周りは駐車場という土地使用ではなく、人が集う場所にしようということで車の乗り入れが廃止されました。そして人が集うことは結果的に経済的効果ももたらします。このような意思決定の際に、環境的な要因だけでなく、社会的、文化的、経済的要因がバランスよく考慮されている印象を受けました。

友達と話していて面白かったのは、日本だとまちづくりの際に経済的価値に一番の比重がおかれがちで、社会的、文化的価値が軽視されがちだということ。一方で例えばストラスブールの話だと、トラム経営は数字だけみると赤字だが(運賃収入53%, その他収入4%, 補助金や企業への地方税43%)、環境的、社会的、文化的ベネフィットを合わせると継続する価値があるという風に認識しているように感じました(はっきりとはおっしゃっていませんでしたが)。確かに中心地にいってみると、その活気と心地の良さに「なるほど」と思いました。

ストラスブールのノートルダム大聖堂前の広場。数十年前は車中心の広場になっていたが、今は人通りが絶えない場所に。 


ノートルダム大聖堂の上からの眺め。


l   「場」を大切にする価値感

日本では何か(イベントを)しないと人が集まらないと思いがちですが、こちらでは居心地の良い場であれば人が集まってきます。ヨーロッパでは芝生に人が寝そべっている光景をよく見ると思います。この「居心地の良い場」は多目的用途として使われています。ある日は人が集まりリラックスする場であり、ある日は政治キャンペーンやデモに使われたり、また違う日はNPO集会や活動の場になったり。その場の存在が市民の生活の質を高めるという共通認識があるようです。

だからこそ、人が集まれる場を車の駐車場にしてしまうのでなく、社交の場として残しておこうという意思決定が働いたようです。これは芝生のような公園の場所に限らず、劇場やミュージアム等も同様です。例えばエアランゲンは人口10万人強の都市ですが劇場が5つもあります。その金銭的運営には企業がスポンサーとして関わっています。その背景には、生活の質が高い都市には質の高い人材が集まってきて、それが企業のハイパフォーマンスにつながるという好循環ループが働くようです(高松さんのクオリティ・ループより)。

面白かったのは、日本は機能的にまちづくりをするが(例えば、線路を最初に引いて、その周りに人が集まるようにまちをデザインしていく=効率性だけを考えてまちをつくっていく)、こちらは人がもともと集まっている場の価値をどうあげていくか(人を場の中心におく)を大切にするということです。

エアランゲンの中心 にあるイベント広場に仮設されたビーチでリラックス。このイベント広場の用途も市民間での議論で決められたそう。


エアランゲンの中心地には車がいないので、道が広く見えて歩く時もとても気楽。


l   市民社会の成熟と行政とのパイプラインの強さ

最初に「教養市民」の存在にも触れましたが、フライブルグで見学に行ったVauban地区はフランスの軍事基地の跡地に住民が参加してつくられた環境地区です。トラム電車の導入から始まり、エネルギー効率の良い環境住宅(Passive housing)、カーシェアリング、クラインガルテン(共同菜園)、コンポスト、公共空間のデザイン等を住民参加で行いました。

地区の歴史を学びながらアイディア出し、だんだんと絞って中心のコンセプトを決めて、どうしたらそれが可能なのか、誰と協力すればいいのかを話し合っていくそうです。計画の実現については行政が全面的にバックアップをし、中心のコンセプトが決定した後は更なる議論と多少の変更を重ねて最終案に仕上げていくようです。

Hongさん曰く、住民は皆議論することに非常に積極的だと話してくれました。また議論が身の丈になるように、実際に車を一人一台所有する際の必要な土地面積や、一人平均あたりの牛肉を消費した際の土地使用面積を実際に計算して、自分たちの行動スタイルを変えることがどう土地利用可能面積や資源消費量に影響を与えるかを考えたりするそうです。

フライブルグのトラム。 


フライブルグのVauban地区の共同菜園。色んな種類の野菜が育てられてました。 


フライブルグのVauban地区のエコハウス。緑がいい感じで心地よかった。


l   日本に持って帰る前に

以前に携わった仕事で、住民参加でマスタープランづくりを進めた経験と比べると、日本にこのまま「やることリスト」を描いて持って帰っても上手くいかない気がしたので、その理由を書き出したのが上記になります。

下記のポイントをどう日本の文脈に置き換えるかが重要な気がします。逆説的に言えば、今まちづくりが上手くいっている自治体は下記ポイントを上手く自分たちの文脈に置き換えることができているのだと思います。

1.    まちのアイデンティティ
2.    コミュニティとして、個人として何に価値を置くのか
3.    市民間の意思決定プロセス
4.    行政の自治力
5.    行政や企業など多様なステークホルダー間での共通目標を設定

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