2015年12月26日土曜日

山田洋次監督「母と暮らせば」のドキュメンタリーを見て

You Tubeで山田洋次監督「母と暮らせば」(公式サイト:http://hahatokuraseba.jp/)の製作ドキュメンタリーを見ました。私はロンドンにいて映画自体は見れないので、あくまでドキュメンタリーを見ての感想です。このお話は長崎の原爆で死んだ息子が3年後に母親のもとに亡霊となって戻ってくる家族の物語をかいた映画です。

山田洋次監督といえば「男はつらいよ」でお馴染みで、私も小さい頃に「寅さん、寅さん」と言ってテレビの2時間放送の枠でよく見ていました。それ以外は恥ずかしながらあまり知らなかったのですが、ドキュメンタリーを見て生き様が「かっこいい」と思ってしまいました。

まず一つは「母と暮らせば」の製作を運命のように感じるとおっしゃっていたこと。「母と暮らせば」は友人でもあった作家、劇作家の故井上やすしさんの「父と暮らせば」のオマージュだそうです。故人のお嬢さんから「母と暮らせば」を製作したかった遺志を聞いて作ることを決断したそうです。監督自身も戦中を生きた一人として戦争を伝える使命をずっと感じていたそうです。

84歳になって使命だと感じる仕事に出会えることってあるんだ、という驚きと、とても幸せで光栄なことだなと羨ましく思いました。一方で84歳で舞い込んでくる本物の仕事は今までの業績を外から評価された結果で、おそらく今までの映画を魂込めて作られてきたのではと思いを馳せました。

二つ目は84歳という高齢で映画製作に臨む根気。「時代考証」と「想像力」にこだわっていました。まず戦中、戦後の人がどういう心情からどういう言葉を使ったのかを探るために大量の資料を読み込んだり、 戦争を生き延びた人に話を聞きにいったり、長崎へ足繁く通ったそうです。舞台装置や小物に関しても、当時の山田監督の記憶をもとにかなりこだわって作り上げていました。器が綺麗すぎるとか、大抵のゲートルは先輩から譲り受けたものだから綻びているはずだとか。

あとはキャラクターをつくるための「想像力」。モデルは戦時中にフィリピンで20代前半で戦死した詩人の方みたいです。その方が当時何をどう考えたのかは今となってはもう分からない、だから手がかりをもとに後はどれだけその人の心情を想像できるかだと言っていました。84歳で臨む根気に脱帽です。しかも84歳の方からの「想像力」を使えという言葉はとっても響きました。「想像力」って本来はコミュニケーションや仕事でもとても大切だと思うのですが、調べれば大抵のことが分かってしまう今、あまり想像力を日常から育んでいない気がしています。でも、その大切さに気付かされたことと、想像力は年齢関係なく鍛えられると叱咤激励を頂いたそんな気分になりました。

日本に帰ったら見に行きたいなぁと思ってます。すごく魂が込めてあるよう作品の様な気がしています。

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