2017年1月19日木曜日

This Changes Everything

先日ドキュメンタリー映画「This changes everything」をThe Hiveというロンドンのコミュニティスペースでみてきました。空き物件を改装してコミュニティスペースにしたそうです。

ドキュメンタリーを見るために100人以上は集まっていました。椅子と床に自由気ままに座ったり寝っ転がったり、綺麗なわけではないのに、とても居心地の良い雰囲気があり、場の持つ力を感じました。

さて映画自体はClimate Changeにどうコミュニティーが立ち向かっていくかという姿を、イギリス、カナダ、アメリカ、インド、中国等でのコミュニティリーダーへのインタビューや彼らの活動をとおして描いています。

Climate Changeは北極グマの問題ではなく(どこかでおこっていることではなく)、私たちの身近におこっていることで、それを解決する力は私たち一人一人が持っている。小さなアクションをおこすことから始まるという可能性を描いています。

興味ある方はこちらがウェブサイトです。

まとまりないですが、思ったことを幾つか。

◎ 地球と人間の関係をどう捉えるか
「The earth is a machine and we human are masters」、地球は人間が自在に操れるもの(機械とエンジニアの関係を例えて)と私たちは思っていた ー という冒頭のセリフ。欧米は自然は征服する対象、東洋は自然は共存する対象とみるいう自然観を彷彿させられました。(欧米、東洋と一つにくくってしまうのはナンセンスだと承知の上ですが、分かりやすい例えなのでそのまま使います)

◎ 長期の影響を予測する難しさ
温暖化問題。18世紀の産業革命から急速に工業化が発展して生活が豊かになり始めた時、誰が排気ガスが温暖化効果ガスに将来なると考えられたでしょうか。同様のことが原発にも言えるのではと思います。

今は安全だと思われている技術(再生可能エネルギーとか)が、5年後ぐらいに実は非常に危険であったりとてつもない外部不経済を生み出す可能性は全く否定出来ません。しかし、当時の技術の発明や適用自体を遡求するのはお門違いの話で、その可能性に気づいた時にどんな意思決定とアクションを取れるのかが非常に大事になってくると改めて思いました。

◎ ロジカルであればなんでもいいのか
映画の途中に温暖化懐疑派の国際会議の様子があり、「If you want to protect trees, use more woods so that we plant more trees!」という発言があり会場では皆が爆笑しました。でも実際は一理ありますよね。市場原理を突き詰めた理論で、木の需要がある限り木の供給(植林)は永遠に続くということ。

でも実際の現場で問題になっているのは過剰伐採による生態系への影響や、伐採後の植林計画等の維持管理の問題。そしてそれは市場原理で解決できない問題です。でも自分がきちんと理論を身につけていないと、一瞬ロジカルに聞こえる怖さがありました。

おそらくロジックは如何様にでも作れてしまう。だからこそ、それを否定できる知識を身につけていないと、間違った意思決定に追い込まれる可能性は十分にあるなと思います。特に多様性に富んで共通認識がない場こそ、ロジックが全てになりますよね。(イギリスに来てより感じること)

◎ 非暴力、不服従
ガンディーのイギリスからの独立運動の抗議スタイルを彷彿させられました。特にインドのデモの様子で、石炭発電所に行こうとする従業員の車の前に市民が道路を遮るように立ちはだかり、「発電所を稼働するのであれば私たちを引いていきなさい」という場面。

見ながら自然と涙が出ました。自分でもなぜだか分かりません。圧倒的に不利な立場の市民(戦う武器もないし、お金もないし、社会的地位も圧倒的に低い)が身体一つで立ち向かう使命感に凄みを感じました。

カナダの場面も同様。圧倒的不利(最初は一緒に戦う仲間もいない)な立場の人たちが一人でも立ち向かう原動力はどこから生まれてくるのでしょうか。

圧倒的な使命感。

カナダの事例では「先祖代々が守ってきた土地」という事実が彼女に力を与えているような気がしました。時空を超えた力。

でもその使命感は利益追求だけを考えていきている人たちに果たして伝わるのか。どういうコミュニケーションが有効なのか。そこまでは描かれてませんでしたが考えたい問いです。

0 件のコメント:

コメントを投稿