2015年12月26日土曜日

山田洋次監督「母と暮らせば」のドキュメンタリーを見て

You Tubeで山田洋次監督「母と暮らせば」(公式サイト:http://hahatokuraseba.jp/)の製作ドキュメンタリーを見ました。私はロンドンにいて映画自体は見れないので、あくまでドキュメンタリーを見ての感想です。このお話は長崎の原爆で死んだ息子が3年後に母親のもとに亡霊となって戻ってくる家族の物語をかいた映画です。

山田洋次監督といえば「男はつらいよ」でお馴染みで、私も小さい頃に「寅さん、寅さん」と言ってテレビの2時間放送の枠でよく見ていました。それ以外は恥ずかしながらあまり知らなかったのですが、ドキュメンタリーを見て生き様が「かっこいい」と思ってしまいました。

まず一つは「母と暮らせば」の製作を運命のように感じるとおっしゃっていたこと。「母と暮らせば」は友人でもあった作家、劇作家の故井上やすしさんの「父と暮らせば」のオマージュだそうです。故人のお嬢さんから「母と暮らせば」を製作したかった遺志を聞いて作ることを決断したそうです。監督自身も戦中を生きた一人として戦争を伝える使命をずっと感じていたそうです。

84歳になって使命だと感じる仕事に出会えることってあるんだ、という驚きと、とても幸せで光栄なことだなと羨ましく思いました。一方で84歳で舞い込んでくる本物の仕事は今までの業績を外から評価された結果で、おそらく今までの映画を魂込めて作られてきたのではと思いを馳せました。

二つ目は84歳という高齢で映画製作に臨む根気。「時代考証」と「想像力」にこだわっていました。まず戦中、戦後の人がどういう心情からどういう言葉を使ったのかを探るために大量の資料を読み込んだり、 戦争を生き延びた人に話を聞きにいったり、長崎へ足繁く通ったそうです。舞台装置や小物に関しても、当時の山田監督の記憶をもとにかなりこだわって作り上げていました。器が綺麗すぎるとか、大抵のゲートルは先輩から譲り受けたものだから綻びているはずだとか。

あとはキャラクターをつくるための「想像力」。モデルは戦時中にフィリピンで20代前半で戦死した詩人の方みたいです。その方が当時何をどう考えたのかは今となってはもう分からない、だから手がかりをもとに後はどれだけその人の心情を想像できるかだと言っていました。84歳で臨む根気に脱帽です。しかも84歳の方からの「想像力」を使えという言葉はとっても響きました。「想像力」って本来はコミュニケーションや仕事でもとても大切だと思うのですが、調べれば大抵のことが分かってしまう今、あまり想像力を日常から育んでいない気がしています。でも、その大切さに気付かされたことと、想像力は年齢関係なく鍛えられると叱咤激励を頂いたそんな気分になりました。

日本に帰ったら見に行きたいなぁと思ってます。すごく魂が込めてあるよう作品の様な気がしています。

2015年12月20日日曜日

学生寮での生活について

今日は将来LSEに進学を考えている人向けに書きます。

LSEにはウェブサイトによると14 寮あります(2015年12月現在)。タイプを大きく分けてみると、1. 大学生のみ 2. 大学院生のみ 3. 混合になります。寮によってシングルorシェア、単身用と家族用が選べます。

私はButler's Wharf Residenceというシングルのお部屋を借りました。部屋はシングル平均10㎡の中に、ベッドと机と棚1つ、クローゼット1つ、シンク1つという極めてシンプルな構造です。フロアには6人住んでいて、キッチン1つ、トイレ2つ、シャワールーム2つが共用です。掃除は週1回当番制にしています。

場所はタワーブリッジの近くで、最寄駅はLondon Bridge StationとTower Hillです。LSEまでは歩いて45分、電車で30分、バスで30分〜1時間です。私は日々の運動としてなるべく歩いて通っています。

1年間のAccommodation Feeは7226.50ポンド(水道光熱費、共益費込み)です。月約602ポンドです。イギリスの物価からみて格別に安い訳ではありませんが、リーズナブルな方に入ると思います。入居前にLSE寮以外の寮やAirBnBで月賃貸等を探したのですが、これよりリーズナブルな物件がなく最終的にBWに決めました。

寮でよかったと思うこと:
1. ご飯を一緒に食べる友達がいる
フロアメイトが5人いるので、キッチンで食べていると誰かが来ます。勉強や学校で疲れた時に他愛もない話をしながら友達とご飯を食べれるのは精神的にかなり救いになっています。ふざけた話から真面目な話まで色々と飛び交い、話し込む時は数時間話し込む時もあります。ただこれはフロアの雰囲気によるみたいです。各自部屋にご飯を持って行って食べるので会話をほとんどしないというフロアもあります。フロアメイトの性格によるところが大きいと思います。

2. ウォーキングが気持ち良い
LSEからBWまでの通学路はテムズ川沿いを歩きます。川沿いはおしゃれなレストランやバーが多く、建物も古くからの煉瓦造りで統一されているので歩くのが楽しいです。また風も心地よく吹くので気持ち良い運動になり、朝歩くと気分がリフレッシュされます。

3. イベントを誰かと祝える
寮主催のイベントがあるので参加すれば友達をつくれるし、イギリスらしさも味わると思います(ハロウェーンやクリスマス等々)。また私はフロアメイトとハロウィーンはパンプキンパイを作ったり、数ヶ月に一度Potluck Partyをしたり、誕生日会をしています。

寮で大変なこと
1. 掃除
どの寮でも問題になるみたいです。基本的に掃除は自分たちでするので、どこまできちんと掃除をするか、決めたとおりに掃除当番が機能するか等々、様々な問題が勃発します。最初を曖昧にするよりも、まず掃除当番等をきちんと決めて、定期的に集まりを開くのがいいと思います。掃除の仕方や気になった箇所は都度フロアメイト全員で相談して決めていくのが一番トラブルが少ない気がします。

2. 音のもれ
壁がすごい薄いわけではないですが、音はもれるので、神経質な人は少し大変かもしれません。スカイプで話していたりすると廊下にはほぼ丸聞こえです。

3. 人間関係
これはフロアメイト次第ですが、合わないと苦労するかもしれません。ほぼ毎日顔を合わせます。プライベートな住の空間に人間関係を持ち込みたくない人には寮暮らしは向いてないと思います。

ざっと思いついたままに書きましたが、私は寮でよかったと思ってます。

2015年12月18日金曜日

ブリュッセルに3泊4日で行ってきました

Michaelmas Termが12月11日で終了!あっと言う間でした。振り返りや授業内容は別途書くことにして、今回は記憶が新しいうちに12月13日〜16日で行ってきたベルギー旅行のことを少し。

LSEの友達が、4年間働いたベルギーを訪れるということで同行しました。全てブリュッセルに滞在。彼女の友達の家に泊めてもらいました。とても広く素敵な家で本当に感謝。ドアや階段は全て古そうな木で出来ていてほっこり。

○ ブリュッセルというまち
人口は約116万人(2014年)でベルギーの首都。ロンドンが817万(2011年)、東京都が1316万(2010年)であることを考慮すると小規模。EUの首都があり政治的色合いが強い。ヨーロッパ国際機関やそれに関連した会社が集まっています。私の友達は政治的イシューを扱うコンサルで働いていましたが、どの会議やイベントにいっても皆バックグラウンドが政策のプロフェッショナルで多様性が少ないとのことでした。公用語はフランス語とオランダ語ですが、8割強がフランス語話者だそうです。ただ英語も不自由なく通じました。

私は今回2回目だったので、観光には2日しか使いませんでしたが、実際数日で十分なくらい小さなまちです。治安はメインストリートはずれると人気がなくなり、絡んでくる人が多いので、少し注意が必要。

○ 食事
食事は最高、ロンドンに比べると圧倒的にコストパフォーマンスいいです。10ユーロだせば(1ユーロ=約130円で換算)、お腹いっぱいの朝ごはんが食べられます。ブランチでいったお店は20ユーロでバゲット、クロワッサン、チーズやサラミサラダの盛り合わせ、フルーツボール、コーヒー、オレンジジュースが付いてました。パンやデザートがどれも美味しい。チーズの豪快な盛り方も最高。


○ 人々とライフスタイル
EUの首都ということもあり、仕事場では国籍様々の印象。友達の元同僚7人と会いましたが、ベルギー人は一人。あとはイタリア、フランス、ドイツ、オランダ等でした。仕事の場で会ってませんが、とにかく気さくで仲が良い(休日にランチ一緒にしたり、友達の家でワイン何本も飲んだり)。友達曰く、皆ホームからアウェイなので仕事仲間で自然と仲良くなるということでしたが、フラットに冗談を言い笑いあっている自然体の姿はとても素敵でした。

全体のスピードはスロー。人が歩くスピード、カフェでのサービス等々Easy Going。友達から聞いて面白いと思ったのは、ファーストチェーンでないカフェではTake Awayのコーヒーをサーブしないとのこと。基本的にカップで飲む。カフェはゆったりとする場所であると。確かにカフェでは一人で背もたれによりかかって読書したり友達と語らったりしている人が多かったです。この雰囲気はロンドンでは中々見れない光景。私は大好きですが、せっかちな人には少しつらいまちかもしれません。


The Curious Incident Of The Dog In The Night-Timeを鑑賞して

11月から多くのプレゼンとエッセイが立て込み、友達や家族が遊びに来てくれたこともあり、ブログからすっかり離れてしまいました。気軽に更新する習慣をつけたいです。

今日はLeicester Square近くのGielgud TheatreでThe Curious Incident Of The Dog In The Night-Timeを見てきました。本が原作で、それをプレイにアレンジしたようです。友達曰くかなり原作に忠実のようです。

内容は、とても頭が良いのだけど人とのコミュニケーションが苦手で社会に適合できない少年の話。彼の身の周りに起こったことを、彼自身が日記風に書いたお話です。

お話自体もすごく面白かったけど、演出方法が特に興味深かったです。

舞台が側面含めて全て電子パネルになっていたので、その場その場にあった雰囲気を作りだします。例えば彼が混乱しているシーンはまるで彼の頭の中のカオスを映し出したように、ランダムな数字が湧き出したり(彼は数学が得意な設定)。ロンドンの地下鉄の雑踏とした雰囲気はランダムな英単語が四方八方から猛スピードで飛び交うことで見事に表現されていました。舞台装置を作り替えずとも、電子パネル、人、小道具で全ての演出が可能になってました。

もう一つ驚かされたのは人のつくる曲線の動きが美しく多様だったこと。例えば人が海に浮いたり潜ったりするシーンは、一人の人を数人で担ぎ上げ、波の揺れを高低差を上手くつくって表現したり、もぐるシーンでは上に担がれている人が宙返りをしたり。滑らかな動きに惚れ惚れしました。

今までライオンキングとオペラ座の怪人をロンドンでは見に行きました。演出の豪華度は二つに比べると劣るけど、話自体が面白いのと演出がモダンアートぽく工夫が凝らされているので見応えはあります。値段面では、ライオンキングやオペラ座の怪人は60ポンド〜70ポンド、今回のThe Curious Incident Of The Dog In The Night-Timeは15ポンドとお得。ロンドンにいるうちに足繁く通いたです。






2015年11月10日火曜日

Emerge2015に参加して

先週末(11月8日)にOxford大学のMBAコースであるSaïd Business Schoolで開かれた社会起業家の集まり「Emerge2015」(http://emergeconference.co.uk/)に行ってきました。


2001年に建てられた校舎で、ガラス張りが基調のとっても綺麗な建物でした。Skoll Centre for Social Entrepreneurshipという研究所を兼ね備えており、社会起業家の育成に力を入れているようです。


2日間あった会議のうち2日目に行ってきました。1日目はチケット売り切れでした。社会起業家Competition、講演、セミナー、ワークショップが主な内容でした。営利と非営利、民と官、国内と国際、実践者と研究者等、様々なバックグラウンドの人々が一堂に会し、世界の広さを感じました。

書きたいことは沢山あるのですが、感じたことを3つ書きます。

○ テクノロジーとの距離が近く、とてもオープン
私が聞いた起業家のプレゼン全てにテクノロジーが駆使されていました。例えば途上国の医療環境をテレビ電話を用いて改善する、途上国の出生管理やシリア難民管理を指紋等を使って管理する、途上国の教育水準をタブレットを使ってあげる、オープンソースを駆使して3Dプリンターにおけるものづくりの効率性をあげる等。

日本だと、このような技術は大企業と連携して導入するイメージでしたが、プレゼンを聞く限りだと、チームメンバー内に必ずエンジニアがいて、彼らがプログラムを組み立てるみたいです。

この違いはどこから来るのでしょうか?思いつく理由としては、エンジニアが起業家マインドを持っている、エンジニアとアイディアマンである起業家の交流が多い、エンジニアの技術の応用力が高い、技術がもたらすことに対してとても前向き。

これからの海外生活をとおして考えたいポイントの一つだなと思いました。

○ 立場を超えてフラットな議論ができる
これはLSEでのイベントでも度々感じていたことですが、 講演後の議論がinteractive。相手の社会的地位が高い人であろうと、すごいプロフェッショナルであろうと、学生や一企業人が混ざって平等に議論します。立場によって作られる隔たりが非常に薄いと感じました。

これを可能にしている背景は何だろうかとよく思うのですが、まずは英語という言語のフラットさは絶対影響している気がします。英語には丁寧な言い方はありますが、日本語のような尊敬語や謙譲語はありません。フラットな立場で話しやすい言語です。

あとは好奇心を育てること、探求することにとてもポジティブな教育がなされているように感じます。日本だと、周りからの見られ方や周囲にかける迷惑さを考えてしまい、思ったことを一旦自分で噛み砕いてから、発言する傾向があると思いますが、こちらの人は好奇心を外に出して、それを周りと一緒に深堀していくことに慣れています。それは自分の好奇心は周りの人へのポジティブな影響を与えるという暗黙の土壌があるのだと思います。

○ 素敵な女性リーダーが多い
自分が前職東北にいたから余計に思ってしまうのかもしれないのですが、女性スピーカーが半数以上いました。「社会分野」ということも関係しているのかもしれません。情に訴えるだけではなく、きちんと裏付けのデータや知識を用いて堂々と主張を展開していて「プロフェッショナル」になるとはこういうことだなとしみじみ感じました。

自分の中に「女性は男性に比べて社会的地位が低い」という観念があるから、こういうところが印象に残るのだと思いつましたが、こういう環境に身をおけることを幸せに感じました。女性でもこういうところで活躍できるのだと実感できることは今後の自分の道を考えるにあたり大きな影響があると思います。

○ 自分への備忘録として他に感じたこと
・インパクトインベストメントについてもっと知りたい
・仕事がない=自分を紹介する時の後ろ盾がない。
・自分の何を紹介して相手に興味を持ってもらうのか。
・自分は何のプロフェッショナルになりたいのか。



2015年10月30日金曜日

グループワークから学ぶこと

先日LSEにきて初めてのグループプレゼンテーションを終えました。ここで感じたことを忘れないように書いておきます。

まずグループ内で多様な価値の出し方があるということ。今回は5人グループだったのですが、リーダー的にファシリテートをしてくれた彼女を見てて学ぶことは多かったです。

正しい人がリーダーをするわけではない。彼女はいつも議論の突破口をグループ内で作ってくれました。みんな確信がもてない中で違うかもしれないけれどとりあえず議論を初めてみる。そうするとそこから広がります。

フィードバックの仕方。必ず褒めること。人はどうしても出来ていることより、出来ていないことに目が行きがちです。でも彼女は 4褒めて1改善点をいうぐらいのバランスでいつもフィードバックをしていました。そうするとされた人も改善点の指摘を前向きにとらえられるような気がしました。

フォロワーとリーダーの両面を持って使いわけること。アメリカ人の子が言っていて気がついたのですが、LSEは出しゃばる人ばかりでなくて協力的なのでとても良いと言ってました。5人中5人がリーダー格で主張しあうとグループはうまくいかないのは容易に想像できます。リーダーに向いている、向いていないも必ずあると思いますが、LSEに来る人はきっとリーダー的な立ち位置にいた人は多いのではと思う中で、その使い分けをきちんとすることがグループワークをする中でとても大切だなと思いました。

場への貢献が人の評価に結びつく。これは前から感じていましたが、アクションを実際におこしてその場に貢献しようという意識がとても高いとです。日本だとその場にいるだけでまずは認められているような気がしますが(アクションを起こさない人が多いから?)、こっちでは発言しないと「いないも同然」というプレッシャーをとても感じます。ただ「認められたい」という動機で発言しているというよりも、「意見を交わすことが楽しい、良い時間や場をつくりたい」という動機の方がおそらく強く、議論をしながら物事を生み出すことに慣れているように感じます。

プレゼンテーションではフローがとても大事。プレゼンはいくらでも小難しくできますが、聴衆がいる限り、その人たちが初回でいかにすっと理解して議論につなげられる興味をもってもらえるかが大事だなと感じました。その時に全体の流れがいかにスムーズであるか、大目的の問いから逸れないか。

今回において自分が出せた価値の一つは根気よく取り組むこと。もう分からないとグループ名との子が若干なげやりになっていた時に諦めないで、「こうしたらどうかな?」と提案できたことは良かった。あとは最終ミーティングで「もういいんじゃない?」という雰囲気の中で、プレゼンの流れに対する自分の心配を素直にぶつけたことは、メンバー全員で流れを見直して改善点を見つけたことにつながった。もう一つ出せた価値は、議論の引き際を見極めること。最初から完璧にこだわらないで、進めながら改善点を積み重ねていく方が早い。これは前職で学べたことで役に立った気がしました。

出せなかった価値は議論を刺激するアイディアや視点を提供すること。そもそも内容の理解ができていなかったこと、議論が7割ぐらいしか理解できていなかったこと、与えられた情報を飲み込むのに精一杯で自分で情報を探しにいくことまで労力をさけなかったことあたりが原因。

学問から得られること

LSEは最初のmIchaelmas Termが11週間ありますが、今週で5週目が終わろうとしています。もう少しで半分です。目の前のことに追われていたらあっという間。

公共政策という学問を勉強し始めて、今私が思う学問から得られることを書きたいと思います。なぜかというと、仕事をしている時に比べて圧倒的に自分が社会に還元している価値が見えにくく、周りからのプレッシャーからも仕事と比べるとほぼないので、「何のために今学生をしているのだっけ?」と考えることが多いからです。

○ 今受けている授業
マクロ&ミクロ経済学、計量経済学、政治と公共政策、パブリックマネジメントの4つ。基本的には各授業、週2時間講義、週1〜1.5時間セミナーです。講義はレクチャーベースで1年生はほとんど基礎理論を学んでいます。セミナーでは理論を用いた問題を解いたり、それを現実のケースと比べたディスカッション、ケーススタディ、グループプレゼンテーションの組み合わせです。基本的には理論と分析ツールを勉強しています。

○ 学問を通して得ているもの
大学院というと最近はMBAに行って現実と照らし合わせた知識を得るイメージですが、学問全体から見るとかなり別格だと思います。他の学問のことは詳しくはないですが、LSEの公共政策は割とお堅く理論に忠実です。

理論と分析ツールを勉強して私が今得ているもの(得られるであろうもの)は4つだと思っています。
・教養
・今まで持っていなかった物事をみる視点
・社会全体を因果関係のメカニズムとして捉える力
・現在の延長にある未来の予測

教養は純粋に知らない世界がたくさんあることを実感するということです。例えば政治学でstrategic voting, compulsory votingというテーマを勉強したのですが、そんな学問があること、そして現実でおこっていること初めてきちんと勉強しました。選挙制度によって投票者がどんな戦術を使うのか、それを利用して政治家はどう選挙活動をするのか、それによって起こりうる問題を勉強しました。純粋に日本の政治制度をもっと勉強したいと思えました。学問はこの繰り返しがとっても多いと思います。特に海外で勉強していると全て海外の事例で学ぶので、日本てどうなっているのだろうか?という疑問を常にかきたてられます。

あとは新しい視点から物事をみることができるようになりそうだと思いました。単純な開発の例ですが、アメリカのアフリカの食糧支援の方法の議論を理論と照らし合わせてしていた時でした。今までは支援するアメリカと支援を受ける住民という大きなプレイヤーの関係しか見えていなかったのが、アメリカ側で支援をすることで利益を得ている人は?アフリカ側で損している人は?という問いをもらい、食糧の需要と供給を考えた時に今までぼやーっとして見えていなかった関係が頭でくっきり描けました。

経済学は世の中の事象の因果関係のメカニズムを理解するための考え方とツールを提供する学問です。私はまだその実感をもてていませんが、基本的に、論文を読んでいても理論を説明し、実際の事例にあてはめて証明するものが多いです。論文も1900年代前半のものを読むこともあり、それだけ積み重ねてきた知識なのだから理論の勉強に時間かかることを納得させている自分もいます。

あとは前の項目に関連して、過去の分析力を身につけることは原因と結果の関係の傾向をつかむことなので、現在の延長にある未来の予測ができるようになると思っています。例えば政策の効果を推定することはまさにそうです。また、各理論にはそれぞれ前提条件というものがあります。単純な例でいえば会社は利益を最大化する、消費者は多くのものを消費したほうが幸せを感じる。けれどもこれらの前提条件がいつまで通用するのか、通用しなくなった時に社会の仕組みはどう変化するのか。未来を予測するヒントが隠れています。


ただ友達と話していて思ったことは、現在の延長線上にない発想からくる新しい未来や変化は現場から起こるということです。学問は基本的には新しいものや変化を追う立場であると。だから実際に新しいものや変化を生み出したいことに興味がある人は学問に向いてないのかもしれません。

2015年10月22日木曜日

教養レベルが低い

こちらにきてつくづく身にしみているのが、自分の教養レベルが低いこと。

以前ロンドンで再会した友人と、
言語はただのツールに過ぎず伝えるのは自分の国のことという話をしたけど
本当にその通りです。

○教養とは何か

ネット上のgoo辞書でひくと下記のように出てきます。

  1. ㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
  1. ㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い―のある人」「―が深い」「―を積む」「一般―」

私個人としては、物事に対する理解力、社会生活を営む上で必要な文化に対する広い知識という定義にしっくりきます。「知っている」というよりも「理解している」というレベルが必要。あとは、こちらの人はとにかく良く話し、話の幅が広い。何ともない会話から、歴史や政治制度、経済、芸術の話等まで割と日常会話に出てきても不思議ではないです。

○いつ自分の教養が低いと感じるか

LSE初日登校日に面食らったトピック。
"What is the most pressing issue in the world? How can we solve it?"


いきなり小グループに分かれて話し合う時間が設けられました。"in the world"という言葉に、日本の問題ならまだしも、世界の問題をあまり真剣に考えたことない私は一瞬固まりました。話し始めて皆の関心は"Inequality"にあることが分かったのですが、私にとってはそれについて主張するほど身近に感じたことがなく、あまり議論に貢献できずに終わってしまいました。初日にとても悔しい思いをしました。

その後も授業は専門コースの関係上、経済や政治の話しが多いのですが、とにかく知らない概念が多い。イギリス出身でない人と話しても皆自分の国の制度を比べながら理解したり議論をしているのに、なかなかそのレベルについていけていない。日本の農産物に対する政策や日本の選挙制度に対することを紹介しながら議論すればいいのは分かるのだけど、紹介するほど知らない自分がいます。

○どうやったら教養が身につくのか

ポイントは、内容をきちんと理解できるか、どれだけ自分ごととして読んでその場限りのトピックにしないか。多分今まで絶対勉強する機会があったのだけど、血や肉になってないのは知識の深堀りや活用をせず暗記で終わってしまったからだと思います。友達と少しでも議論して考えを深めたり、自分とのつながりを考えるだけで、残る知識になりそうですが、わからないのでトライしてみます。

今からできることを考えています。
1.毎朝時間を決めて日本と世界の時事ニュースをチェック
短時間でもいいから、1日一つでも新しい概念を知るだけでも1年経てばだいぶ変わってきそう。今まで何回かトライし、ルーティーンまで至らなかったことですが、必要に迫られたので、またトライしてみます。

2.気になったことをメモして、丁寧に調べること
近道はないので、その場その場で適当にせずに地道に事実ベースで調べることが大切だろうと思います。「忘れたらまた調べればいいこと」ぐらいの気持ちで取り組みたいと思います。

2015年10月15日木曜日

言葉の壁にぶつかって思うこと

留学してちょうど1カ月強経ちました。
思ったより高い壁が英語。

持ち前のお気楽さでどうにかなるだろうと思ってましたが、
頑張らないとどうにもならなそうと身にしみている今です。

一番大きな理由は学んでいる内容が簡単ではない、
ということに尽きると思います。

日本語でも知らない概念をゼロから英語で学んで理解できるかどうかは、
語学力が直結しているとつくづく実感しています。
修士課程をなめてはいけないなと思いました。

現状の自分の英語能力を感覚で計ると、

読み:同じ文献読むのにネイティブの3倍〜4倍かかる。
書き:エッセイを書く際のフォーマルな単語は辞書をひかなければいけない
聞く:講義の理解は8割。
   途中でクラスメイトから飛んでくる質問内容の理解は4〜5割。
   普通の会話の理解は7割。
   訛りのある英語の理解は0〜4割。
話す:自分の思っていることはニュアンスまで大体伝えられる。
   ネイティブ同士の会話に対等に参加するのはかなり難しい。
   話すスキルの不安よりも理解力の不安から発言をためらうことが多い。
参考までに、今まで受けたテストはTOEFLが95前後、IELTSが7。

今疑問なのは、ネイティブになれることは一生ないとして
第二言語はどこまで獲得できるのか?

今登っている階段がとても高い気がしています。
成長曲線のように、ずーっと下積みを終えていきなりキュッとあがるイメージ。

あとは何となくですが、自分の日本語レベルや知識レベルも関係ありそう。
日本語で論文読んで理解できないなら、英語で読んで理解できないのは、
語学力よりも読解力の問題。
そして読解力は自分の持っている背景知識にも大きく影響する。
だから語学力だけではなく、背景知識等もつけていかねば。

定期的に自分の語学レベルの変化を計りたいです。


現状において気をつけたいのは3つ。

1 できないからこそ英語を使いまくること
 コンプレックスを持つとできるだけそれを避けようとしてしまいますが、
 英語コンプレックスは向き合い続けなければいけないものなので、
 早く克服するためにできない英語を使いまくることがとても大切。
 
 言語ができないときに基本的に恥ずかしい思いをするのは自分だけなので、
 自分に負けないことが一番大切。
 さぼらず地道に取り組むしかない気がします。

2 言語評価と自分評価を結びつけないこと
 言語がうまく使えないことは意思疎通がうまくできないこと。
 特にアカデミックの世界は基本的に言語を使って批判的に意見交換し
 深い示唆を得るプロセスなので言語ハンデはかなりの痛手。

 授業で議論に参加できなかったり、教授の言っていることが分からないと、
 その場の自分の存在意義がないように感じてしまうことも正直しばしば。

 しかもその自分が本当の自分だと
 他のクラスメイトに思われているだろうから、かなりストレスフルです。
 かなり悔しいです。あぁーーーという感じ。

 負のサイクルに落ちいらないように、
 この状態を自己評価に直結させないようにしたい。

3 言語を使わないで自分が出せる存在価値や個性を見つけること
 言語に不自由になって
 自分への信頼や自信は言語に頼っている部分が多いのかもしれない
 と気づきました。

 けれど大きな視点で見てみると言語に得意な人だけではないことに気づく。
 そうなると自分の存在価値は他のところで出せるのではないかと思ってます。

 周りに常に気を配れる人であること、
 物事に対する真摯な姿勢、
 常に挑戦し自分や周りに良い影響をもたらすこと、
 等は、言語がうまく使えずとも出し得る自分の存在価値。


2015年9月20日日曜日

このブログを始めようと思ったわけ

1.変化の軌跡を振り返られるようにしたい
 2015年9月からLSEのMPAプログラムに進学します。世界中から学生が集い切磋琢磨するプログラムで自分の価値観がどのように変化していくのか、とても楽しみです。その過程を将来振り返って自分のあり方に自信をもてるといいなと思います。

2.思考を深められるようにしたい
 書くこと、人と話すことは自分に多くの問いかけをくれます。このブログを書くことで質の良い自問自答を繰り返し、思考を深める訓練をしたいです。

3.気づきを多くの人と共有したい
 ロンドンに来るにあたって多くの方にとても気持ちよく送り出してもらいました。素直に前向きに頑張ろうと思えました。その後、何を返せるかずっと考えていました。そこで、すぐできることは私の気づいたことや感じたことを共有することだなと思いました。なぜならこの機会は私だけの努力で得たものではないし、何より皆が経験できることでもないから。
私が個人的に感じたことをとにかく自由につづります。正しいがどうかは全く別の話なので一意見として受け取ってください。

※ LSE: London School of Economics and Political Science
※ MPA: Master of Public Administration