2016年7月30日土曜日

日本人の宗教観

私が外国人の友達と話す時にいつも上手く答えられないトピック。インドでのインターンが約1ヶ月が過ぎようとしていますが、既に3回も宗教のことを同僚や他のインターンと話す機会がありました。

「日本人は何の宗教を信仰しているの?」
「あなたは何の宗教を信じている?」

「うーん、仏教だけど、日常的な信仰ではないと思う。行事作法に組み込まれている」「1つの決まった崇拝する神様はいないけど、人間の存在を超えた力の存在は信じている」「定期的に御墓参りにいって祖先に祈ることはする」

と答える度に自分で「もやっ」とします。

別に神様の存在を否定した無宗教ではないし、自分の中に決まった価値観がない訳でもない、けれども◯◯教という明文化された教義を読んではいない。

個人的には日本人であれば「自然や生物を慈しむ」「物を大切にする(もったいない)」「和を大切にする(相手を尊重する)」「祖先を大切にする」等の価値観は割と共通して持っている気がします。日本人と接していてこれらの価値観の違いに違和感を感じたことは少ないです。

けれど外国人と話したり行動したりすると、時々ほんの小さな行動に「あれっ」と感じる違和感があります。例えばLSEの授業でアメリカ人の先生が出なくなったマーカーを床に放りなげた時。ハイキングをしていて道をふさいでいた植物がポキっと折られた時。グループ行動で遅れている人がいるのに「我先に」と後ろを待たずに突き進もうとする人を見た時。食べ終わったお皿にご飯粒が散らかっている時。

上にあげたような価値観が日本人の宗教観に基づいているかは分からないけど、宗教に端を発し生活に根付いている考え方も多いのではと思ってます。

少しリサーチをして自分なりに分かってきたこと。

1 日本人には無宗教が多い。
Wikipediaのデータ(世界価値観調査/18歳以上の男女1000人対象/電通総研・日本リサーチセンター調べ)によると2006年現在で、無宗教51.82%, 仏教34.82%, 神道4%, キリスト教2.3%, 無回答7%らしいです。行事行事に仏教や神道の風習が残っていることは多いが、多くの人が無宗教だと認識しているみたいです。このデータを見ると、オランダ、チェコ、エストニアも無宗教回答率が50%を超えてます。何でだろうか。

2 神道が昔からの日本古来の宗教で現在も価値観として根付いていること。
自然からの恩恵が多いと同時に自然災害も多い日本だからこそ、自然を崇めると同時に畏れる風習ができたと考えられているそうです。恩恵を授かるように自然に向かって祈ることや、災いや祟りをおそれて祀ったことから、万物の事象に神が宿っていると考えるようになった(八百万神々)と言われているそうです。ただ祖先崇拝が神道とどう関係しているのか結局はっきりしませんでした。(一説によると儒教の影響)

3 神仏習合が長く受け継がれ仏教と神道の区別が曖昧であること。
しかし、奈良時代(8世紀頃)に仏教が中国から伝播され、神社に仏が置かれたりして混ぜこぜになったようです。一説によると、神道の万物を受け入れる姿勢が仏教か神道かの二者択一ではなく混合する結果に至ったのではということです。

4 明治時代初期に神仏分離により神道国教化と祭政一致が試みられたこと。
しかし明治時代に、外からの脅威に立ち向かうために国内の意識を統一する必要性から、神仏分離を通して王政復古(天皇親政)や祭祀一致を目指したそうです。つまり古来の天皇を拠り所をした政治に戻すために、日本古来の神道を国教化しようとしたらしいです。しかし敗戦後に「国家神道」が廃止され「天皇の神格化」も否定されたことで、神道の勢力も落ちていったということなのでしょうか。

ここにきて改めて考えた問い。

◯ 日本人には無宗教が多いのか?
宗教をどう捉えるか次第ですが、(キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教のように)聖典(教義)を基礎に日常的な行動規範を作っているもの、生活慣習を作っているものを宗教と捉えるのであれば、やはり日本人には無宗教が多いと言えると思います。

なぜ無宗教が多いかと言われれば、これはただの私の推測ですが、1. 「宗教(=宗教)」というものを敗戦後にタブー的に危険視する風潮が社会に広まり(短絡的に、敗戦したのは天皇を神格化し(=神道と考えた)ナショナリズムが高揚したからだ的に)、「宗教=危ない」という誤認識が広まった。2. 宗教は人が苦境に立たされた時に精神的な拠り所として必要とされることを鑑みれば、日本は生きる環境として恵まれていた(自然は豊かだし、人種も割とホモジニアスなので同調しやすい、経済発展を遂げ物質的充足から精神的充足が得られた)。3. 神道には教義や聖典のように明文化された布教ツールがなかった。(これも面白いポイント、古事記等が教義にあたるという説もあり)

◯ 日本人の(私の)価値観形成はどこからきているのか?
けれども前述したように、日本人(全員ではないが)に共通する価値観はやはりある気がします。自分を鑑みるとそれは家庭や社会生活(学校等)の「躾」からきている気がします。特に家庭の躾は先祖代々伝えられてきた不文律だとすると、それに神道や仏教の教えが入っているのは当然で、価値観はそれらの宗教を受けていると言えると思います。

非常に長くなったけど、今度この会話になった時はもう少しうまく説明できるかな〜笑。

あとはインドにいるうちにヒンドゥー教について調べてみたい!漠然とですがインド人は似た感覚を持っている気がしています。

※ あと「日本人」とまとめて書いてしまいましたが一概には言えないことも十分承知の上です。ただ外人から聞かれる時は「日本」という単位で聞かれることが多いので、敢えて概略をつかめたらと思って「日本人の宗教観」をして書いてみました。

参考:

2016年7月29日金曜日

気ままな動物コレクション ver.1

Mithapurにきてひたすら驚くのは動物が放し飼いにされていること。自然や動物と「共生」するということがどういうことなのか、頭でなく感覚で分かってきたような感じがあります。

今日は今まで撮影した動物たちを少し紹介。

まずは定番の牛。今日はすれ違い様に私をよけてくれました。人間と同じ道路感覚をもっているのかしら。オフィスの前を横切る牛。













Photo by Aleksandra

と思いきや、道路の真ん中に陣取っている牛。人がよけていきます。
 Photo by Aleksandra

お互いに舐め合っている仲良い牛も。

他によく見かけるのは犬。これはオフィスの敷地内に居ついた犬。どの犬もみな大人しいので余程のことがないと吠えたり咬んだりはしません。そして人間に可愛がられなれてもないので媚びてこないのも新鮮。ただ、ほとんどの犬が傷を負っていたり毛がまばらに生えていたりしているので少し可哀想です。

孔雀。小走り姿が可愛くて大好き。孔雀のお尻フリフリしていて可愛かった。

モンスーンシーズンはちょうど発情期なのか羽を広げてメスにアピールしているオスをよく見ます。

リス。小さくてすばしっこい!
 Photo by Aleksandra

そして昨日はアンテロープ(レイヨン、カモシカ)を見ました!何気ない顔で草を食し、人に慣れているようで警戒心ゼロ。

牛とヤギと馬を掛け合わせたような何とも表現しにくい顔。

誇り高い雰囲気。

CSR部のマネジャーとも化学工場がある土地にこれだけ種類豊富な動物が生息しているのは、世界中でも稀なはずだと話しました。そしてこれを維持するためには相当な努力が必要なんだとしみじみ言ってました。今はその活動の片鱗や自然に対する考え方に触れることができ非常に貴重な経験。

そちらの方もブログにて少しずつ明らかにしていきます。第2弾もお楽しみに。

2016年7月26日火曜日

お腹が緩くなった日 〜インドの食べ物の衛生面について〜

インドに行った知り合いから聞いて一番怖かったのが健康です。お腹を下す、高熱が出る等はよく聞いていたので、食べ物には極力気をつけていたのですが先週とうとうお腹&胃の調子が崩れました。

今後インドに行く人の参考になればと思い、「今のところ言える」情報で書きます。

○ そもそも気をつけていたこと
1. ペットボトルの水(封が空いていない飲み物)しか飲まない
2. ストリートフードに手を出さない
3. 生物を食べない(フルーツ、野菜等)

上記は到着後、約2週間は相当徹底していました。歯磨きの水もペットボトルの水を使っていたぐらい笑。水を購入しても1.5Lが30Rs(50円くらい)なのでお財布には優しいです。

しかし、到着して2週間が経ち少し身体も慣れてきたかなと思い、また人との交流も多くなってきたので段々と上記原則を緩めはじめました。

○ お腹が緩くなった前日にした思い当たる節
1. オフィスの人とランチ外食で手で食べる(店の裏の囲われてもいない野外キッチンで、10人ほどが床の上に胡座で素手でチャパティを焼いていた衝撃笑。語弊はあるけれど原始的な感じでした。)
2. Dwarka近くを流れる濁った聖なるGomti Riverで顔をゆすぎ水を舐めた(本来は口に含みゆすぐらしい)
3. 路上のChaiを2回飲む
4. スタッフの人が路上で買ってきたお菓子を素手でもらい食べた
5. 司祭の人から(どこからか持ってきた)お団子を素手でもらい食べた

しかも、この日はムンバイから約12時間かけて帰ってきた翌日で身体はつかれていた上、オフィスの人達とチリとホコリが舞う道中を車の窓全開で片道2.5時間のドライブだったので、身体も弱っていたと思います。

思い当たる節がありすぎて何が原因かよく分からないのですが、翌日お腹がゆるくなり、胸やけがひどかった〜〜。

朝ごはん、昼ごはんをほとんど食べず睡眠にあて、正露丸をのみました。夕飯から少しずつ回復しましたが、その後数日はカレーを見ても食欲がわかず、残り6週間がカレーで過ごせるか正直不安だったのですが、今は無事に食欲も復活し体調も回復!

○ 今緩めているルール
1. 訪問先で出された水(水道水では無いことを想定)は一口飲んで変な味がしなければ飲む
2. ストリートのお菓子は買って食べる
3. マーケットのフルーツを買って食べる
4. ゲストハウスで出された生野菜は食べる


その一件があってから体調は今のところ良好です。

インターネット接続

今日はルームメイトの怒りが爆発。

原因はインターネット接続。

来る前より悪いとは聞いてましたが、全くつながらなくなることが数日あります。先々週末の数日、そして今週末の数日、そして今日月曜にやっとつながったと思ったらまた切断。

家族とのスカイプ、就職活動、インド旅行計画等が一気にできなくなり、かなりFlexibleな彼女も耐えられなくなった様でした。温和な彼女なので少しびっくり。

私は切迫した用事もなかったので「またか」というレベルですが、ネット接続が危ういところでは、基本ネット接続をあてにしない計画をたてないと危険ですね。

ちなみにネット接続がなくなると私はこの日記を書いたり、Kndleや以前まとめてダウンロードした資料を読んだり、Gujaratiを勉強したりしています。 

2016年7月24日日曜日

Beyt Dwarkaに行きました

先日のブログにDwarkaについて書きましたが、今回はBeyt Dwarkaについて。MithapurよりRickshaw+Boatで約30〜40分の小さな島。




この島にはKrishnaと、そして私の大好きなハヌマーンも祀られているとのことで日曜日に足を伸ばしてきました。まち自体の小さいのでハヌマーンのお寺に行くのにRickshawを使い、あとは徒歩。

Beyt Dwarkaのは船着場の近くは人も多く観光スポットですが、少し離れると閑散としたエリアが広がります。所々に3年前にあった地震で崩れた建物や、イギリス統治下時代の建築物があり、時の流れを感じます。 



大まかな印象
① 人が好き














ハヌマーンのお寺に行った時に質問をしていたら僧侶に好かれたようで、Chaiと大きいお団子のお菓子をご馳走になることに。日曜のお昼頃に無料で配布しているということ。今回は既に16時前だったので特別でした。

ご馳走になる時にいつもこわいのが衛生面。お水がどこから持ってきているのか、食べ物をどんな状態で作ったのかわからないのですが、基本的に少し頂いて変な味がしなければいつも食べています。

ちなみにChaiを飲み終わったあとに洗い場にいったら、案の定すすぎ用に貯めてあった濁った水で洗うことに。なのでお腹に自信がない人、体調がイマイチな人は無理しないほうが無難。

そしてお茶を一緒に飲んでいた人がTata Chemicalsで働いていることが判明し、そのあとずっと数時間案内してくれることになりました。いいおじさんでした。帰路のBoatに乗る時は、定員にあぶれないようにと率先して大衆をおしよけて私達を誘導してくれたり。世話好きなのか、私達が珍しいのか、心配なのか、とにかく助かりました。

その人と住宅エリアをまわっている時には、運良く住民のお家の中を拝見させてもらう機会もありました。一人はナースで隣の病院で働いているけど、医者は数年前よりおらずナースも1人らしいです。緊急事態の時は船でMithapurまで行くらしいけど、Door to Doorで1時間はかかることを考えると厳しい状況。家は基本的に暗いが(電気なし)とても清潔。寝ている部屋はコンクリートで3畳ぐらいでした。

あとは子供達が「写真をとってくれ〜」といっぱい寄ってきて写真を撮ったあげたり。人にたくさん触れた小旅行でした。


② 大量のプラスチックごみ

土にそのまま晒してあり、場合によっては牛や犬が漁ってます。そしてハエがたかっている。家から出たごみをそのまま公共の土地に捨てている印象。

そこで思ったこと。

従来のプラスチックゴミがない時代は全て出るゴミが有機物で土に還るゴミだったから、それらを公共の土地においておけば牛や犬の餌になり最終的に土に還り資源循環が行われていたが、プラスチック等の無機物が広まった時に、本来なら新しいゴミ回収システムが必要なのにそれが機能していない雰囲気。ちなみにゴミ回収の導入はこの10〜15年程らしい。

後日同僚のインド人にきいたところ、ゴミ回収システムはDistrict LevelでPublic Serviceなのだが、住民がそれを利用せずに路上にゴミを捨てることが多いとのこと。特にモンスーンシーズンは悪臭が漂うので家で管理せず外に捨ててしまうらしい。

彼曰く、外にゴミを捨てることが環境に悪いとは思っておらず「教育の欠如」ということでした。また罰金等もないので路上にごみを捨てないための強い規制もない。

また、処理する時に大気汚染を引き起こさないようなプラスチック袋の質を限定した製造が規制されておらず、質の悪いプラスチック袋がたくさん出回っているということも問題とのことでした。

さすがに、国政府が2014年よりゴミを路上に捨てすにきれいにする趣旨のキャンペーン(Swachh Bharat Abhiyan/ Clean India Mission)を開始したそうです。

だいぶ飛躍はしますが、新しい技術や製品を導入する時は、使い方のみが広がりがちですが、使用後の処理方法も含めて広めることが必要だということを強く感じました。最後まで責任を持てないと使用する権利はないのではと。(レベルは違うけれど原子力発電の使用済み核燃料等も結局は同じこと。)

2016年7月22日金曜日

ラーマーヤナに見るヒンドゥー教の精神性

せっかくにインドに来たので少しインドの歴史や文化に浸ろうということで、先日ルームメイトとインド古代の2大叙事詩の一つ「ラーマーヤナ」をアニメで見ました。紀元3世紀頃にヒンドゥー教の神話と古代英雄コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂されたとされています。ただ本編の大部分の成立は紀元前4ー5世紀頃だとされているそうです。(Wikipediaより)

驚くことに、アニメを見た後に寺院にいくとラーマーヤナに出てきていたキャラクターが神様として祀られていたり、地元の人の話で今までだったら聞き取れなかっただろう神様の名前が聞き取れたりして
インドの文化を少しわかったような気になります。

今回見たのはYou Tubeにもアップロードされている1986年に制作されたインドと日本の合作アニメです。絵が少し古く言語が英語になってしまいますが、それに抵抗なければ十分楽しめると思います。

基本的なストーリーは是非アニメを見て欲しいのでここには書きません。

アニメの途中で登場人物の発する言葉が、とても深くてヒンドゥー教の精神性を表している気がして興味深かったので、私に頭の何か数週間後も残っている言葉やシーンを少しシェアします。(細部やニュアンスに少し脚色あるかもしれませんが)

○ 戦は憎しみを動機としてはいけない。

メインのストーリーはさらわれた妻シータをラーマが助けにいく物語なのですが、妻シータが卑怯な手によってさらわれたとしったラーマは怒りに燃え、ランカの王ラーヴァナに戦を挑もうとします。

その際にラーマの弟ラクシュマナが言った言葉。

その言葉を聞き入れたラーマは冷静になり、シータの救出とそこで働かされている奴隷の解放を掲げて戦いに挑みます。しかし開戦真近の局面でもラーマは無血で目的達成を望み条件交渉に挑むのですが、ラーヴァナが聞き入れず止むを得ず開戦。

今の時代でさえ復讐を名目に戦争に突入する実例はたくさんあるし、映画を見ていてもそういうストーリーラインは普通にあるけれど、紀元前の人が憎しみが憎しみを生むことを承知した上で、それを戦いの名目にしないことに精神性の高さが垣間見えました。

○ 私だけ助けられる訳にはいかない、だって私の様に他にも苦しんでいる人がいるのだもの。

敵地に乗り込み助けに来たラーマの仲間であるハヌマーンに対し、シータが言った言葉。これをきいたハヌマーンは「かしこまりました、後日あなたと他の奴隷を解放しにラーマが助けに来るでしょう」と言い残してシータの前を去ります。

何気なく見ていたけど、この言葉に感動。

現代の映画は大体ヒーローがヒロインを助けにきて一緒に脱出するか、敵地での戦いに巻き込まれ敵地を破壊して脱出する(その結果の奴隷解放)というストーリーが一般的。

でもシーターの言葉は利己的な精神を否定し、社会全体の幸せや協調を表している様に聞こえます。紀元前の人はこういう価値観で生きていたのかなぁと思いを馳せてしまいました。

○ ハヌマーンが拝借した山を律儀に元の場所に戻しに行くシーン

戦いによる負傷者とラーマ王の傷を癒すための薬草が足りなくなったハヌマーンはアルプスの麓まで空を飛んでいき、薬草が沢山はえている山を丸ごと陣地へ持ってくるのです。(ハヌマーンは風神ヴァーユの子であり神話の世界なので何でもありです笑)この試みは成功し一命をとりとめたラーマ王は戦いに出向いて勝ちます。バンザーイで終わりかと思いきや、ハヌマーンが持ってきた一山を(住んでいた動物含め)律儀にアルプスの麓に返しに行くシーンが描かれていました。

これも私には斬新に映りました。戦いで消耗した資源を再生させるという現代風の「Sustainability」的な考えが当時から当たり前にあったのだなと。あとはシンプルに「他から借りてきたものは返す、略奪はしない」という精神。おそらく現代の戦争映画やアクション映画等ではなかなか描かれない場面。

総じてマニアックになりましたが、紀元前に作られたお話に現代の最先端の考え方が入っているところに感動を覚えました。そして、これを機にインドにいる間にヒンドゥー教を少し学ぼうという意欲が生まれました。 

2016年7月20日水曜日

とりとめもない人生論

昨日は職場の上司の人と打ち合わせの後にじっくり話す時間をもらい、彼の家族のこと、Mithapurのこと、宗教のこと、インドのこと等正味2時間ぐらい話しました。興味深かった!!

とりとめもないですが印象に残ったこと。

① 人生において大切なこと
彼はお金を稼ぐことよりも、どうやったら自分がPeacefulでHappyでいられるの方が大事で、それは心の持ちかたから来ると教えてくれました。

そして自然とつながりをもつこと、そして人や生き物と物を分け合うことが、彼なりのPeacefulでHappyでいる方法だと教えてくれました。そして同時に自然はたくさんのことを教えてくれると。

考え方は行動になり、行動を続けると習慣になり、習慣は人格を作っていくから(この言葉好き)、考えていることを行動に移すことが大事で、彼は毎朝鳥に手で餌をあげていると教えてくれました。

写真をみたら餌をあげている鳥がカラスで更に驚き。カラスはスマートだから彼の気分(Vibration)を感じ取るらしいです。日本だとカラスはゴミを漁る標的のようなイメージがあったのですが、それも自分の捉え方、付き合い方次第で変わるものなのかと。

② 自分を良く知るということ
自分をもっと知ることでHappyになる方法が分かってくるとも教えてくれました。そして人は(身体的、精神的に)極限に達した時に、素の自分が出てくるから、その時こそ自分をよく知れる時だと。巡礼はまさにその例と聞き納得。

確かに言われてみると、自分の強さや弱さ、何に喜びを感じるか等々を知る時って追い詰められている時が多いかもしれないと。それは中高の部活だったり、仕事での大きな役割をもらった時だったり、留学をした時だったり。(このインドもその一経験になるのかな?)

だから挑戦し続けることは、自分の成長というキャッチーな意味合いだけでなく、自分を良く知る機会でもあり、その結果自分をどうしたらHappyになれるかを探る機会でもあるのだなと。

この説明は自分なりにすごく腑におちた!私は自分を試すことは好きなのですが、多くの場合「成長したい」という気持ちからきている訳ではないので、「成長の機会」というフレーズに少し違和感を抱いていたのです。

でも彼と話した後、私は挑戦することで、自分の新たな一面を発見することや今の自分を客観的にみれるようになることが好きなのだと思いました。

③ 彼らの動物の捉え方
彼の動物に対する考え方を聞いて思ったこと。

インドに来て数週間ですが、どこに行っても動物が放してあります。牛、犬、猫、豚(イノシシ?)、孔雀、他の鳥多数。そしてなぜ彼らが道路で生きていけるかというと、家庭から出た生ゴミを路上のカンに入れて彼らに餌をあげているというのです。ごくシンプルな方法で資源が循環されているのです。

おそらくインドは動物を人間と対等な存在(共存)に捉えているような気がします。それがヒンドゥ教からきているものなのか、単に社会システムが整っていないだけなのか、現時点では分かりません。

でも多くの国のように動物が人間の愛玩になっていないことは確か。たとえば日本では動物の虐待等は制限されている一方、動物が人間に害を及ぼさないように手篭めにされている感は否めません。そこに動物の意思はない。

もちろん動物が放し飼いにされている弊害もあります。牛の糞が路上に落ちているし、糞や動物にハエがたかっているし、もちろん犬に噛まれたら狂犬病が危ないし。

そしてインド人全員が動物に優しい訳ではなく、牛が入ってはいけないガーデンに入ったりするとムチで叩いたりしている人もいます。

でもインドという社会全体が、動物を囲っておらず、時に人間や車が動物のスピードに合わせて動いているのを見ると、動物を対等な存在として認識する精神が生きているのだろうと感じます。今後インドが発展してもこの精神は生き続けて欲しいなぁと思います。 

Dwarkaでのスピリチュアル体験

Mithapurは有名ではないけれど、車で1時間弱離れたところにあるDwarkaという街は有名らしい。ヒンドゥー教の4大巡礼地の一つだそうです。サンスクリット語ではDwarkaは'Gateway to Heaven'の意味らしく、近くを流れる聖なる川であるGomti Riverで身を一度沈めてからDwarkadhish Templeに行くのが習わしらしいです。

確かに一緒に行ったインド人の人たち皆、川で足を洗い口を清めていました。私も少しだけ口に含んだけど、海水でした。ちなみにこれが原因かはわかりませんが次の日からお腹下し気味です。

元の寺院は2500年前にKrishna(ヒンドゥー教の神の1人)によって建てられたと言われているそう。ただ途中侵略及び破壊され、現存の建物は16世紀に建設されたそうです。石でできており彫刻がとても細かく一見の価値ありです。

まず驚いたのは電子機器の持ち込み禁止。入り口でチェックがありますが、カメラ、携帯、PC、Kindleなど使用禁止ではなく持ち込み禁止なので、見つかると入れません。私のPCはケースに入っていたからか検査員が気がつかず、PC入れたまま中に入れてしまいました。あとでPCが本来禁止だと知りました。

そしてMain TempleであるDwarkadhish Templeは、とにかく人がすごい。ギュウギュウ押されながらKrishnaのいるところへ向かいます。

驚いたのは人々の熱狂ぐあい。前の方に行くと叫んだり飛び跳ねたりしている人多数。そして煙(お香)を顔と頭にかけてお祈りします。今回同行した職員の人は涙を流していました。

私は自分がほぼ無宗教なので、神様と心からつながること、神様の存在を信じることが習慣になく、神様を感じて感極まるという感覚が正直分からないのですが、その空間には何ともいえないスピリチュアルな雰囲気が漂ってました。

今まで接したことのない雰囲気で少し怖かった。何か見えない力が空間に渦巻いていて、理性が失われて何でもあり得てしまうような雰囲気です。

今回は仕事帰りに偶然連れて行ってもらっただけで、街や寺院をゆっくり見学できなかったので再度訪問するつもりです。その時にはヒンドゥー教の神様についてもう少し調べておきたいと思ってます。

2016年7月17日日曜日

Old Monk

ムンバイの2泊3日は観光地に行く時間はほとんどなく、LSEの友達や同プログラムでムンバイでインターンしている友達とのキャッチアップでほぼ終わり。

やったと言えることはSultanというBollywood Movieを見たぐらいかな。ヒンドゥー語だったので、途中友達に解説してもらいながら60%ぐらいの理解でしたが、歌に踊りに、インド人の見ていて恥ずかしくなるくらいのスウィートな恋愛模様に、すごく楽しめました。

不思議に思ったのはキスシーンが一回もなかったこと。キスシーンぎりぎりのところでIntimateな感じを見ているのは逆に恥ずかしい気もしました。後日ネットで検索したら、キスシーンは過激すぎてTabooで、演じる女優や俳優が演技とはいえ色々な相手とキスすること自体が社会上良く思われないのと、演じる彼らもComfortableではないと書かれてました。ただ時代の移り変わりを反映して最近はキスシーンがある映画も出てきて逆にmarketing strategyの一つにもなっているそう。

最後のムンバイの夜は、インド人の友達に「Old Monk」飲まなきゃだねと言われ、インドのRumにトライしました。コーラとアイスで割って飲みました。すごく甘くて飲みやすく美味しかった!


「Old Monk」はWikipediaによるとインドで広く昔から飲まれているVanilla Flavourのラム(アルコール度42.8%)とのこと。1954年12月にインドで製造が始まり製造過程に8年かけるそうです。National Liquorにする動きがあるくらい人気とのこと。美味しかったら納得。

店員に勧められボトル1本(750ml)を頼むことになり3人で開けるはめに。最終的には1人がすごく酔っ払い追加注文でショットグラスで更に1人3杯ほど。最後には私も相当酔っ払い、かろうじて残りの1人の比較的正気な子を頼りに家に帰りました。

酔ったからこそ話せる話題も出てきたし、楽しい雰囲気を共有できたので結果オーライですが、話した細かい内容を断片的にしか覚えておらず、少し残念。

思い出に残るムンバイの夜でした。

2016年7月16日土曜日

ムンバイのRickshaw体験

ムンバイでインド初のRickshawに乗りました!タイだとTuktuk。


友達にムンバイは基本的には安全と言われていたので、タクシーより安いRickshawを使い友達との待ち合わせ場所に行くことに。

一番のハードルは言語。基本的に彼らは英語が話せないので、自分が行く場所をよく知っているか、或いは誰でも分かるような場所(空港など)でないとRichshawはオススメしないです。

私は結局道端で会った英語話せるインド人の助けをかりて目的地を伝えて乗りました。ただ2回目は自分で伝えるしかなく、目的地に着くまでドキドキ。

ムンバイの交通はとにかくCrazy。道や車線があるようでない。(ないようであるのかも)Richshawは小回りが利くので横から割り込むのは当たり前だし、車道を歩いている人や動物をよけながら行くのでグネグネ運転します。

だから乗っていてハラハラしっぱなし。そして道路も凹凸が多く車体も小さいので、その衝撃を直に受ける感じ。シートベルト等もないので最初はつかまってないと少し恐かったかなぁ。

あとはドライバーの腕次第です。少しの隙間を責めるRisk Taker Driverと、余裕がある場所にしか割り込まないSafety Driverがいるので、目的地までかかる時間やハラハラする度合いもRickshaw次第。

でもオープンカー(?)で風を切っていくので、すごく気持ちよい!個人的にはまた乗りたい。

あとはムンバイのRichshawはメーターがついているので、法外な金額を要求されることはないと思います。ちなみに約9km乗って70(100円強)ルピーでした。 日本の物価と比べると相当安い。

2016年7月15日金曜日

お節介すぎるインド人

今日は想定していない混雑をオフィス内につくってしまいました。事の発端は私が一人でムンバイの友達に会いに2泊3日で行くことになり、数人の上司に報告している時のこと。

友達のスケジュールの都合上、この週末しか会える日がなく、現オフィスに移ってからすぐのことだったので下調べも十分でなかったのは事実。

「飛行機と電車で行こうと思ってます」と伝えると、飛行機の時間やら沢山質問されて答えていたのですが、電車の番号をメモしていないことが発覚すると、その場で調べ始めてくれるのです。

そしてチケットが売り切れているのを見て、他の列車はどうだろうか、飛行機はあるのだろうか等々、リサーチは広がり続けました。

前日にインド人の友達と一通り選択肢を考えた上での決断だったので、調べつくしており、それを伝えたのですが、リサーチに没頭して私の言うこと届かず、調べ続ける始末。

オフィスのマネジメント層の人が集まっている席だったので、ただただ恐縮&すみません状態でした。(30分くらい)

そのあと自分のオフィスに戻り1日前の朝10時に販売される電車チケットを買うためにウェブにつなごうとしている時。

同僚の若いインド人のお兄ちゃんがすごく心配して私の使おうとしていたPCを使って色々調べ始めることに。私はチケットを買いたいだけなのにPCも使えず、さっきのマネジメント層の人との議論を繰り返すはめに。(1時間ぐらい)

皆心配してくれて好意でやってくれているので「しょうがねえなぁ」的な雰囲気を彼らから感じることは全くなかったのですが、想定していなかった混乱をオフィス内につくり、ひたすら恐縮。そして頼んでないことをやってもらう「もどかしさ」も同時に感じました笑。

でもこの「お節介さ」にインド人(またはTata Chemicals Ltd)のhospitalityの一面を見た気がしました。(一方で私が外国人でインドに詳しくないというのもあると思いますが) 

2016年7月12日火曜日

環境や境遇の違いからくる貧困

今日はNatural Resource ManagementのCSR活動を見てきました。

1 Drinking Water and sanitation
2 Water conservation
3 Agriculture and Animal Livelihood
4 Infrastructure and Rural Energy

大きくは上記4つに分かれていますが、今日は全ての要素が少しずつ見れるように、Poshitraという村にTCSRDが作ったReservoir(貯水池)とFarm Pond(農業用の池)を見学に行きました。

基本的にGujarat州は半乾燥地帯や砂漠地帯なので雨が1年間に310mm~350mmです。これは日本の歴代最小降水量をほぼ同じ。なので農業をするにしてもMonsoon Seasonの6月〜9月しか作物を作れないのです。

よって灌漑によって長い期間農業を出来るようにとReservoirと1農家の1つのFarm Pondをつくったとのこと。基本的にMonsoon Seasonに降った雨を貯めておくということです。Community Participation(Responsibilityをあげるためにも)を進めるために、初期投資の15%は農家に負担してもらい、工事の労力として農閑期の農家を動員した(賃金も払える)と話していました。

農家の皆さんと


Reservoir


Farm Pond


Monsoon Season前の土壌

半乾燥地帯の畑を初めてみました。表土が固くてとにかく乾燥しています。確かに作物育たなそう。LSEで読んだ論文(Jeffrey Sachs)の中に貧困の一つの要因は地理的条件であるという主張があったけど、今回現場に来て心から納得。こんなところで灌漑をしてまで農業をするのが本当に得策なのか、農業を進めた先に豊かさはあるのだろうかと考えてしまいます。ただこのあたりは、インドの中心部から離れ人口も少ないので基本的には地産地消で成り立っていることを考えると、農業は必須の産業であり食いぶちに困るということはないのかもしれません(自分の食べ物も確保できるし)。

あとショックだったのはお話を聞かせてくれた農家のお嬢さん2人にお会いした時です。朝から晩までずっと農場で働いていると話してくれました。おそらく同じ年ぐらいかと思うのですが、ぼろぼろの洋服をきていて日焼けで肌はぼろぼろ髪はボサボサ、目の色素も薄くなっていました。握手をした手もかさかさで分厚かったです。私がそのお嬢さんだったら「私」みたいな人に会うのも自分が惨めに思えて嫌かもしれないなぁとか思うと、何だかいてもたってもいられなく悲しくなってしまいました。正直かける言葉も見つからず、質問すらも何を聞いたらいいのかわからず御礼だけ言って別れました。

私がたまたま今の様な状況におかれているのも偶然日本という国の普通の家庭に生まれたからで、彼女達がそういう貧しい状況にいるのも偶然その家に生まれたからで、どうしようもないことなのだろうか、それともどうにかできることなのか。そのための打ち手が今回のような灌漑で農家の収入をあげることなのだろうか(灌漑のおかげで収入は2倍になったらしい)。でも、その延長上で彼女達の人生が変わることも想像しにくいなと正直思ってしまいました。

インドにいると自分と境遇が違いすぎる人にたくさん会い、自分の境遇と自分ができることを考えさせられます。 

2016年7月11日月曜日

Brexit

6月24日に行われたBrexitの国民投票から2週間強が経ち、日本でも参議院選挙の先にある憲法改正の国民投票の話が出てきました。今更感はありますが、Brexitの国民投票の時に自分がロンドンにいて周りの反応を見れたのはすごく貴重な経験であったので、その時に感じたこと書き留めておきます。

国民投票の時に私はLSEの寮に住んでいたので幸いにもヨーロッパ大陸諸国の人達と話す機会がありました。あとは偶然ロンドンのTime & TalentsというNGOでフィールドワークの手伝いをしており、訪問インタビューや路上インタビューをとおしてローカルの人と話す機会もありました。

選挙結果がLeaveと決まった日の朝。LSEの友達の反応はほぼ100%といい、「信じられない、何て選択をUK国民はしてしまったんだ!」という反応。大きな理由としては「第二次世界大戦後からのヨーロッパのSolidarity(結合)の歴史の針を逆に戻してしまった。」「今までEU加盟国がヨーロッパにはびこる諸問題(経済や難民等)を解決しようと努力してきたことが水の泡だ」「他の国々が追随し始めたらEUにとっては危機」ということでした。個人的に驚いたのは、ドイツ人、フランス人等がEU加盟国(運命共同体のような)の意識を相当強く持っていること、そして選挙後の数日間は会えば政治の話題をオープンに真剣に議論し続ける土壌でした。

なぜ離脱派が勝ったのか?

(1)論点のすり替え
色々な人と話していて個人的に一番納得いったのは、「UKはEUに残留するべきか?離脱するべきか?」という問われるはずの論点が、「現政府のパフォーマンスに満足しているか?」という問いに対して投票してしまった人が多いのではということ。つまり「失業、NHSサービスが満足に受けられないこと等への不満」が本来の順序なら、現政府の政策が妥当であるかがまず問われるべきなのに、その問いを飛ばしてEUに残留するのが良いのかという形で問われてしまったこと。

移民を少し詳細にみると、イギリスは(EU域内での移動の自由を保障している)「シェンゲン協定」に入っておらず、EUからの移民は入国管理がされています。また2015年のNon-British移民373,000のうち約半数の188,000人はEU域外から来ています。なのでEUに加盟していることが問題というよりも、入国管理を許した移民のインパクトを想定してパブリックサービスきちんと提供できていない現政府の政策の方がまずは問われるべきかなと思います。

UKへの移民は確かに年々増えており2015年は過去最高の330,000人でした。そして私がした路上インタビューや訪問インタビューでも移民に対する違和感は住民からあがっていました。「近所を歩いていても英語がほとんど聞こえてこず、隣人と英語でコミュニケーションがとれない」、「税金をきちんと納めているのにNHSサービスが満足に受けられない(供給不足)」、あとは感情的に聞こえますが「移民にばかりサービスをつくり(言語教育等)、イギリス国民である自分たちには(今の状況に対して)何のサービスもつくられない。Unfairだ」、「仕事獲得が(移民のせいで)難しくなった」「公共住宅の倍率が(移民のせいで)あがった」等々。なので肌感覚的に、移民の増加に対して相当の違和感を現地の人は感じていたのは確かでした。

ただその解決をEU離脱に求めたことは課題とそれに対する解決策が議論がしつくされなかった印象です。また個人的にはイギリスというヨーロッパの経済を牽引する国が、自分たちの状況だけを考えヨーロッパ各国の共同の課題に立ち向かおうとする協力体制を崩してしまったことが非常に残念でした。正直イギリス国民に失望しました。

ドイツ人の友達が述べていた意見も印象的で、今回のUKのEU離脱というのはある意味EUという組織が上手くいっていない証拠。だから今回の結果を踏まえたうえでEUに残った国々は未来に向かった建設的な対話をするべきだというものでした。

(2)キャンペーンの方法
イギリス人の子が話していたのは残留派のキャンペーンが失敗だったのではないかとうこと。なぜならEU離脱をした場合のリスクや損失を訴えかけていたけれど、残留した場合の人々への利益が見えにくかったから。ただEUに残留した時に現状維持(つまり今の不満)だと明らかに現状が解決しないので、EU残留でも今の問題をこういう風に解決できる、長期的にはこんな利益があるという風にしたらよかったのかな。それに対し、離脱キャンペーンは論理は間違っていたかもしれないけど、利益を強調するキャンペーンだったこと、あとは昔の大英帝国を彷彿させるようなコピー「Get our grourious independence back」的なものを感情に訴えかけることに成功したのだろうなと思います。

あとはキャンペーンという雰囲気に飲み込まれない(キャンペーン全てが悪いわけではなく、キャンペーンの主張の良し悪しを見分けられるということ)Good Knowledgeを身につけているかは、結局は国民の教育レベルによってしまうと思います。そうするとイギリスとして今までの教育のあり方や社会のあり方を見直す機会にもなるのかなと思いました。

国民投票というと国民の総意なので聞こえは良いけれど、正直こわいなと思ったのが今回のBrexitの選挙でした。国民は世界情勢含め大きな視野で見えている人ばかりではないからです。だからこそ、国民投票の実施を意思決定をする政治家は本当に重要なポジションにいるし(もしかすると政治家や官僚エリートで決めたことが未来にとって賢明な議題もあるかもしれない)、私はきちんと大きい視野で長いスパンで物事を判断できる国民の一人でありたいと思いました。

参考サイト:
「移民・難民の大量受け入れに反発してイギリスがEU離脱した」の「ウソ」:http://www.huffingtonpost.jp/naoko-hashimoto/lie_eu_b_10868404.html

2016年7月10日日曜日

長い道のり

今日はTata ChemicalのNature Conservationの現場を見てきました。自然の保全と生物多様性の保全をどうやって色んな人が協力して行うかという分野。前職に関係の深い分野でとても楽しかった。植物の成り立ちや動物の習性って想像するだけでワクワクします。

全体をとおして気づかされたこと。
○ 教育(Raising Awareness)の大切さ
これはCSR全体を通していえること。教育を一番最初のプロセスに組み込んでおり重点を置いていることがわかる。「なぜ自然保全の活動が大切のなのか」「現状と問題は何なのか」「自分たちがそれに向けて何をすべきなのか」というのを丁寧に学ぶ機会を設けているようです。

一番驚いたのはTata Chemical@Mthapurの社員が少なくとも月1回は生物多様性を学ぶ機会があって、それをベースに地元の学校へ行き出張授業を行ったり、ボランティア活動を牽引しているということ。日本ではCSR担当者の例は聞いたことあったけど一般の社員の例は聞いたことなかったので驚きました。聞き手が伝え手になっていくことは、その人の勉強にもなるし、気持ち的にも責任感とやり甲斐が増すのでとても良い取り組みだなと思いました。時間はかかるけどコツコツやるしかないのだろうなと。

○ 感情に訴えること
2004年からTata Chemicalが行っている取り組みの中にWhale Shark(ジンベイザメ)の保全がありました。Whale Sharkは世界で一番大きな魚だそうで、乱獲等も原因の一つとなりワシントン条約の付属書Ⅱに入っているそう。最高級のフカヒレらしい。Gujarat州でも生息が確認されており、その保全のために漁師や沿岸住民への保全キャンペーンから始めたそうです。

面白かったのは、Whale SharkをPride of Gujaratとブランド化し、保全することに「誇り」を持たせたこと。あとは沿岸で見られる妊娠中のWhale Sharkを里帰りした妊婦に例え、故郷に帰ってきた娘を大事にするようなストーリーを組み立てたり、ヒンドゥ教の宗教リーダーと連携して信者に訴えかけてもらったりと、大衆の感情に訴えかけるキャンペーンを繰り広げた様。それが成功した結果、今はプロジェクトは調査やモニタリング等、次の段階の段階へ移っているということでした。土地の人に何が響くのかを上手く活用している例でした。

あとは活動現場に興味ある人向け。純粋に見ていて一番楽しかった現場。

○ 海ガメの保全
MithapurにはGreen TurtleとOlive Ridleyという2種類の亀が生息しているそうですが、人による乱獲( 肉、血、そして卵が健康に良いと信じられていた)、犬による卵の略奪、海面レベルの上昇による沿岸の侵食(卵を海にはゆるやかな海岸斜面が必要だそう)、植物外来種の激増とゴミの投げ捨てによる沿岸環境の変化等の理由から、個体数が激減してしまいインドでは絶滅危惧種に入れられているそう。そこでTCSRDでは人々の教育、海岸の清掃、個体数のモニタリング等を通して海ガメの保全を推進しているそうです。

産卵の形跡がある度に漁師から連絡をもらい、TCSRDのスタッフがモニタリングしにいきます。今回は昨晩に産卵したと思われる形跡を見に行きました。写真は産卵場所だと思われる箇所。臭いにより卵を探りに来たと思われる犬の足跡も残ってました。カメは頭が良いらしく、卵を掘り当てられないように臭いをいろんなところに散布するらしいです。あと卵は地中深くに埋められて2ヶ月後に赤ちゃんが出てくるらしいです。


こちらはカメが産卵場所を求めてはいずりまわった形跡。毎回この距離やどこを歩いたかを記録しています。すごい距離。しかもカメは約200kgらしく、その巨体が海岸を彷徨っていたと思うと居合わせてみたいと興味が湧きました。

○ マングローブの植林
こちらはRukshmani Creek siteでのマングローブの植林。もともとはマングローブが生えていたらしいのですが、干ばつの影響と人による燃料確保のための乱伐による無くなってしまったらしく、その間にモンスーンシーズンにはびこるentromorpha algaeと呼ばれるマングローブの 種の成長を妨げるはびこってしまったらしいです。しかも写真からわかる通り、ゴミだらけ。


そこで、生物の住処(小さな魚の住処の提供)の提供、そして津波や高潮の軽減を目的にした海岸林の役目の提供のために2009年から植林を始めたようです。5年ぐらいは高潮の影響でマングローグが海にもぐってしまい花と種子をつけるのが難しく繁殖が遅かったらしいのですが、最近ようやく大きくなってきて勝手に種を落として勝手に繁殖し始めたとのことです。

この写真の白いつぶは全てカニです。穴をほって中に住んでます。

近づくとこんな感じです。マングローブを植え始めてから観察されるようになったと喜んでました。

けれども問題は山積みだそうで、まずはこれらのゴミ。高潮でマングローブまで波がくるとゴミがマングローブのあたりまで流されてくるらしいです。

あとは漁師が高潮時に気づかずに船をマングローブの上に停泊して波が引いたときに傷つけてしまったり、あとは網がマングローブに引っかかり、そのままネットにマングローブがもってかれてしまうことがあるそうです。住民の理解を得ながら進めていく長い長いプロセスです。

おまけ:12世紀前後に建てられたとされる近くにあるヒンドゥー今日のRukmini Templeに寄ってきました。近いうちにDwarkaのTempleも行く予定なので楽しみ。




2016年7月9日土曜日

現地の人と仲良くなる

私は今回のインターン(Mithapur)にケンブリッジ大学のポーランド人の女の子と一緒にきています。私は東京出身でありながら宮城県の片田舎で3年半コミュニティづくりの仕事をした経験から、自分と違うコミュニティに溶け込むのはそこまで苦手ではないと思っていたけれど、彼女は人と仲良くなるのがとても上手で驚かされます。以前、難民キャンプ等でボランティアもしたことあるみたいで、そういう経験からどうやって現地の人との距離縮めるか学んだのはと憶測しています。

彼女から学ばせてもらった何点か。

○とにかく笑顔で、はきはき話す
当たり前のことだけど、異文化でのコミュニケーションになると難しいです。相手が何を言っているのか、自分が何を聞かれているのか、自分の話すことが的を得ているのか等々、自分の話していることに自信がない時、ついつい顔がこわばったり、小さい声で話してしまいます。そうすると相手も会話を続けにくくなってしまいます。そういう意味で、彼女は私の基準からしたらオーバーリアクション気味ではあるけれど、きちんと相手のことを理解しているということ、分からなければ確認するということ、を徹底しています。


○相手の言語を学ぶ
正直、私一人で来ていたらそんなにGujaratiを学ぼうと思わなかったと思います(インドには少なくとも30の異なる言語があり、方言は2000前後にのぼるそうby Wikipedia)。ちなみにGujaratiは私が滞在しているGujarat州の州公用語になります。Hindi語と同じ表現もあるけど、ほとんど違います。大体の人が英語を何となく話せるので私は英語に甘えていたのですが、彼女はウェブで調べたり現地の人に聞いたりしながら積極的に言葉を覚えています。2ヶ月後には簡単な会話をすることが目標だそう。ここで気づいたのは期間が限られているのでマスターすることはそもそも目標ではなく、相手の立場に近づこうとしているその誠意を示すことこそがコミュにティに入る時はとっても大事だということ。確かに現地の言葉で挨拶すると皆とっても嬉しそうな顔をするし、もっと色々な言葉を教えてくれようとします。

○文化や歴史を学ぶ
彼女は大学での専門が歴史や言語等の社会学に近いこともあると思いますが、とてもよく歴史や文化を調べます。インドに来る前に2大叙事詩の1つであるラーマーヤナの漫画動画で落としてくるほどです。こういう歴史や文化的な話題は現地の人との会話もはずむし、現地の人は勉強していることを好意的に受け取るし、良いことだらけ。あとは彼らの価値観を理解する良い方法だと感じます。

○現地の物(特に食べ物)に積極的にトライする
食べ物に関してとてもAdventurous。インドを旅行する前に注意されたことは、水道水を飲まない、ストリートフードを食べない、生物は食べない、です。自分の身体の免疫の強さに応じて守るべきだと思いますが、彼女はストリートフードやフルーツにトライする気満々。リスクを犯すか犯さないかは個人の判断ですが、でも現地のものをトライしようとする心意気はすごいなと思います。ちなみに、現地の人の家に招かれた時に出された水(おそらく水道水をフィルターしたもの)を私は飲むふりをして飲まなかったのですが(一口目で水道水の味がしたので)、彼女は全部飲んでいました。

○とりあえず愛想よく
道端で手をふられたら振りかえす、子供に手を振ってあげる、話しかけられたらきちんと対応する。Mithapurは片田舎で外人(特に白人&ブロンドの髪)がとても珍しいので、いろんな人からの興味の眼差しを感じます。私は少しこわいなぁと警戒してしまうのですが、彼女は本当に愛想よく丁寧に答えていてびっくり。おそらく、Mithapurという安全な田舎だからこそ出来ることだけど、でもその心意気はすごい。

2016年7月8日金曜日

女性のEmpowerment Program

今日はTCSRDのLivelihoodというプログラムの説明をききました。主な事業はSHG (Self Help Group), Skill Development, Cluster (手仕事を中心とした仕事づくり)で、今日はそのうちのClusterを見にいってきました。東北でもお母さん達の手仕事を中心とした事業を沢山見てきたのですが、違うことは働く人達と商品をデザインする人が職業訓練(数週間〜数ヶ月)をきちんと受けていることかな。だから商品のレベルも高いと感じました。下記がClusterの一部。

ココナッツ繊維で作った飾りもの(Coconut Cluster, 35Rb/ガネーシャ)



カバン(Dr. Bhimrao Ambedkar Leather and Rexene Cluster, 280Rb/ bag)


ジュート製品 (Jute Cluster, 大きさにより50-25-Rb/bag)



ビーズアクセサリー(Fashion Girl Beadwork Cluster, 150Rb/one pair)




このクラスター事業は女性のEmpowermentを目的にしており、働く女性の大半は両親の介護や子供の教育のためにお金を稼ぐことがモチベーションらしいです。ただもともと専業主婦の人が多いので最初は意識を作り上げるところから始めなければならず事業ペースは非常にゆっくりとのこと。現在各クラスターに20〜30人の女性が所属しており、パートタイムの様な形で働きにきているとのことでした。賃金は大まかに1000〜4000ルビー/月だそうです。参考までに今日Mithapurのマーケットで購入したパンジャビドレス(インドの女性がよくきている普段着のプチワンピースみたい)が250ルビーだったことを考えれば、本当に少しのお金です。ただワーカーの女性達とは残念ながら英語で話すことができなかった+TCSRDのスタッフがいたので、彼女達の本音はわからずじまいでした。

インドでは女性が働くことが当たり前ではないので、Clusterを立ち上げる時はNeeds Assessment(実際に足を運んでローカルの人に説明), Registration, Training, Start workingの順番で取り組むみたいです。Needs Assessmentで興味ある女性が沢山いれば実施するということだと思いますが、まだ各Cluster1つ拠点があるのみだそうです。

販売方法はローカルマーケットや展示会に持って行くとのこと。徐々に売り上げは増えているようです。けれど働く環境にしても販売方法にしてもまだまだ伸び代はありそうに思えました。

実際に足を運んで難しそうと思ったのは、これらの事業の将来を完全ビジネス化に舵を切るかどうかの意思決定です。写真から分かるかもしれませんが皆、ゆったり楽しそうに働いていて本気で稼ぎたい人(切羽詰まっている人)には物足りないだろうなということです。Women Empowermentの最初のきっかけには良いかもしれませんが、長期的にどういうビジョンで事業を発展させていくのか気になるところです。


あとはおまけとして、今日のマネジメントの人と話した時に「どうやってMithapur(田舎町)を豊かな町にすればいいのだろうか。それには教育的(子供も大人も)な対策、社会的な打ち手(住む場所の改善)、経済的な打ち手(経済活動を興す)全てが必要で、Tata Chemicalsはそれに対して何が出来るのだろうかを常に一緒に考えて欲しいし、学んで欲しい」と言われました。東北復興(田舎おこし)とかぶる部分がたくさんあり、経済が発展すれば解決できることばかりではないこと、だからこそ途上国は(先進国と同じ轍を踏まないように)その先を見据えた先進国が参考にするような打ち手が必要だと強く感じました。

2016年7月7日木曜日

現地の方のお宅へお邪魔しました

今日は初出勤日。TCSRD (Tata Chemicals Society for Rural Development)のオフィスにお邪魔して職員の方と初顔合わせ。皆さん、とても優しそうな方々でした。驚いたのは女性のプロジェクトリーダーが大半を占めていたこと。今日から1週間はCSRの各分野の活動を見てまわることになりました。総括して今日はとってもゆるーい1日。


今日お邪魔したのはHealth Careの活動。その中でも子供の生存率をあげるためのMalnourishment(栄養不良)Programの話を聞きました。まだテスト段階でGujarat州内の4つのVillageでスタートして4日のプログラム。3〜4年かけてGujarat州内にスケールアウトしたいとのこと。概要としては妊婦さんと子供を対象に、健康状態のスクリーニング、結果(4段階)に見合った対処方法の案内、栄養不良に関する教育プログラムでした。妊婦が栄養不足だと産まれてくる子供も栄養不足になるということで妊婦も対象にしたということ。また、州政府で食糧配給プログラムを実施しているが、栄養不足の対象になる妊婦や子供の中にはこのプログラムを知らない人や栄養不良に関する知識不足で危機を感じない人がいる。よってい、政府のプログラムをもっと有効に活用してもらうためにも本プログラムを実施しているとのことでした(政府と住民をつなげる役割)。政府の行き届いてない役割を補うパートナーシップの姿勢は素晴らしいなと思いました。(スリランカのプログラムがモデル)

そのあとは職員の方のお宅にたまたまお邪魔することになりました。お子さんが1人いる家庭で旦那さんがTata Chemicalsで働いていることから社宅に住んでいたのですが、広かった〜〜!!1LDKに大きなベッドルームが2つでした。一番印象的だったのは、10歳の子供のパーフェクトな英語と多才ぶり。ダンスや歌の大会で入勝した時の映像を見せてもらったり(Gjuratダンスがとっても上手でした)、ルービックキューブをすごい勢いで完成させたり、折り紙、工作、マジック等、とにかく沢山のレベルの高い芸を見せてくれたり、最後には10歳が描いたとは思えないレベルの絵も見せてくれました(影のつけ方、色使いの上手さが確実に大人レベル)。さすがインド人!(偏見だいぶありますが)。


けれども一緒にインターンに来ているポーランド人の女の子と寮に帰って話したことは、彼の才能はもちろん素晴らしい上で、その才能を開花させる環境に恵まれているのは素晴らしいということ。小さいうちに色々トライさせること、そして褒めること(お母さんはGeniusとべた褒めでした)。あとはインド人の女性によると、MithapurにはGujarati学校とEnglish学校(英語で授業をする)があり、マネジメント層以上の子供はEnglish学校に通い、その子供はEnglish学校に通っている(小学校から社会階級で教育に差がついてしまう)。あとはTata Chemicalsというインドで有数の優良企業の同僚に囲まれているから教育についての意識が高いこと。あとは個人的には仮説に過ぎませんが、Mitahpurという人口1万人規模の町+Tata Chemicalsがある=子供への投資意識が高い(クラブ活動等の文化活動も盛ん)というのもあるかなと思いました。 

Purpose of Internship

今日はムンバイの国際ターミナルから国内線Air Indiaに乗りJamnagar Airportに飛びました。そのあと車に乗ること3時間半。ようやくTata Chemicals LimitedのあるMithapurに到着。Mithapurは半乾燥地帯にあたるため雨が降りません。なので飛行機を降りた瞬間、ムンバイより暑いモワっとした空気を感じました。3時間半の車の旅では牛が道路を歩き、羊が道路脇に群れ、たまにラクダが横断するというインドならではの風景。動物のペースに車が合わせるところにインド人の懐の深さ?なのか、時間のゆったりさを感じます。


それにしても道中驚いたのが、大量のプラスチックのゴミとバラック小屋が並ぶ風景。沿岸エリアのゴミに関しては漁師が住宅エリアでないところに住み着きゴミ回収のシステムがないためゴミを不法投棄したのが溜まったらしいです。バラック小屋はムンバイのスラムと同じ衝撃。ムンバイの煌びやかな内装の国際空港との違いに愕然とします。税金等の公共資金の分配の仕方が気になるところ。あとは何といってもインドは面積が大きいので(EU加盟国23カ国を合わせた面積より一回り小さい)、長期計画に基づいて発展させていかないと中途半端な発展になりそう。


これから2ヶ月はTata Chemicalsのゲストハウスに寝泊まりします。到着後はTata Chemicalsの担当者に会ってプロジェクトの話をしました。3人ののうち2人の現地担当者は英語でのコミュニケーションに相当な壁があり、これはプロジェクトの内容云々より意思疎通が大変になりそうな予感。

昨日のセッションでTataはSense of Purpose(目的意識)に重きを置いているという話を聞き、私もこのインターンが本格的に始まる前に明確な目的と心構えを決めておくことにしました。

〜インターンの目的〜
1.LSEで学んだ統計の知識をリサーチに活かすこと。
2.Tata ChemicalsのBusinessとCommunity Contributionへの考え方やアプローチ方法を知る。
3.SustainabilityとRural Developmentに関する自分の将来の関わり方のヒントを見つける。

〜こうありたい〜
1.Judgementalにならないでローカル文化をRespectして受け入れる。けれど、自分との違いとその源泉を認識する。
2.自分のComfortable Zoneから少し出たActionを取り続ける

3.やることに見切りをつけない(学びも遊びも思いっきりする) 

Tata GroupのCSRの考え方

昨日はぐっすり眠れました。さっそく朝のアラームに気づかず寝すぎて朝食を食べそびれるという神経の図太さを発揮しました。

今日はムンバイのTata Communicationsのオフィスで一日中Introduction Sessionでした。インターンが始まるにあたり注意すること、Tata Communicationsの偉い人の話、各Tata CompanyのCSR活動の紹介がプログラムに組み込まれていました。

Tata Groupはインドの様々な主要産業を担っていてSteel, Chemicals, Power, Consumer Goods, Automobiles等々、Tataという名前をムンバイで見ない場所はないです。しかもLSEのインド人の友達皆がTataはGreat Companyだと言っていたのでインド人からも愛されているみたい。

今日の話を通して強く感じたのは、利益を社会に還元するという価値観が当たり前のように会社に根付いているということ。創始者のJamsetji Tataが「In a free enterprise, the community is not just another stakeholder in business, but is in fact the very purpose of its existence.」と述べていることがTataのCSRのコンセプトの源を作り上げているように感じました(崇拝レベル)。創始者はかなりの実業家、起業家、思想家らしいので、この2ヶ月間で彼の思想や人生にもう少し迫りたいと個人的には思っています。

面白かったのはTata Trustの担当者によると彼らはCSRとCorporate Sustainabilityをはっきりと区別して考えていたこと。How do they make the profits?についての取り組み(環境に配慮した生産工程の改善等)はCorporate Sustainabilityで、What do you do with the profits?についての取り組み(貧困層への教育サービス提供、生態系保全への取り組み等)はCSRに分類しているみたいです(会社のビジネス外への取り組み)。

そしてインドではComplianceとして年収105Mポンド以上の会社は、(強制力はまだ弱いそうですが)税引き前の利益の2%をCSRに費やさなければならないと決まっているらしいです(参考記事)。ちなみにTata Trustは3.5%をCSR活動に費やしているとのこと。Tataグループ全体としては2013年度には約10bnルビー(現在の為替で約149億円)。よって相当な額をビジネスには直接的には関係ない活動に還元しています。各Tata CompanyのCSR活動紹介は確かに盛り沢山でした。インド全域に渡って地理的にも分野的(Environmental sustainability, Health, Education, Traditional Preservation等)にも網羅している気がしました。こういう活動があってのインド人のTataへの高い信頼が成り立っているのかな?と思いました。補足としてはBusinessはSocietyがあってこそ成り立ち、SocietyはEnvironmentがあるからこそ成り立つという考えのもとに商売をしているのも、CSRが盛んな理由かもしれません。(面白かった動画:Nature is Speaking


明日からはMithapurという人口約1万人の小さな都市に移動します。Tataの末端で働いている人とのコミュニケーションも増えるので、どれだけ理念が行き渡っているのか、どうやって行き渡らせているのかは興味深いところ。あとはリサーチ過程で一般の農業従事者とも話す機会があるので一般の人がどのようにTataを捉えているかも聞きたいなと思います。 

いざムンバイへ

以前ブログで報告したTata Social Internshipがいよいよ始まりました。ムンバイに到着しました!自分が今まで旅行した中で一番の途上国っぽい雰囲気です。

天気はRainy Seasonなので暑くてじめじめです。最高気温が37度、最低気温が29度でした。雨は日本のゲリラ豪雨的な感じです。なので雨が降ったら無理に外に出ないで雨宿りが基本。歩いているだけでじわりと汗をかく感覚はすごく久しぶり。ずっとロンドンの肌寒い中にいたので、汗をかいてすこしだけ心地よい。

ご飯はとても美味しい!まだベーシックなChikin Tikka Masala, 豆カレーしかトライしていないけれどとにかく美味しい。イギリスより断然ご飯はこちらが好みです。あとはカフェで飲んだラッシーが人生で飲んだラッシーの中で一番美味しかった。

1日目は街を歩くことで精一杯でした。とにかくTrafficがcrazyです。車は車線をまたいで走り、自転車、トゥクトゥク、自動車が同じ道路を一緒に走っているのですが、無秩序。どこから現れるのか分からず、タクシーに乗っていてもハラハラします。


あとは車上から見た家(というかバラック小屋のような)風景は衝撃でした。まだあのような状況で暮らす日常が同じ時間軸で存在していることにびっくりするし、同時に人間のたくましさも見せつけられた様な気さえしました。私が宿泊したホステルのベランダからは土砂降りで地面が水たまりでぐちゃぐちゃの中、楽しそうにサッカーをしている少年達が見えました。日本の子供なら絶対家で待機だな〜と思いつつ、人間の底力というかインドの底力を感じたような気がしました。