2016年7月20日水曜日

とりとめもない人生論

昨日は職場の上司の人と打ち合わせの後にじっくり話す時間をもらい、彼の家族のこと、Mithapurのこと、宗教のこと、インドのこと等正味2時間ぐらい話しました。興味深かった!!

とりとめもないですが印象に残ったこと。

① 人生において大切なこと
彼はお金を稼ぐことよりも、どうやったら自分がPeacefulでHappyでいられるの方が大事で、それは心の持ちかたから来ると教えてくれました。

そして自然とつながりをもつこと、そして人や生き物と物を分け合うことが、彼なりのPeacefulでHappyでいる方法だと教えてくれました。そして同時に自然はたくさんのことを教えてくれると。

考え方は行動になり、行動を続けると習慣になり、習慣は人格を作っていくから(この言葉好き)、考えていることを行動に移すことが大事で、彼は毎朝鳥に手で餌をあげていると教えてくれました。

写真をみたら餌をあげている鳥がカラスで更に驚き。カラスはスマートだから彼の気分(Vibration)を感じ取るらしいです。日本だとカラスはゴミを漁る標的のようなイメージがあったのですが、それも自分の捉え方、付き合い方次第で変わるものなのかと。

② 自分を良く知るということ
自分をもっと知ることでHappyになる方法が分かってくるとも教えてくれました。そして人は(身体的、精神的に)極限に達した時に、素の自分が出てくるから、その時こそ自分をよく知れる時だと。巡礼はまさにその例と聞き納得。

確かに言われてみると、自分の強さや弱さ、何に喜びを感じるか等々を知る時って追い詰められている時が多いかもしれないと。それは中高の部活だったり、仕事での大きな役割をもらった時だったり、留学をした時だったり。(このインドもその一経験になるのかな?)

だから挑戦し続けることは、自分の成長というキャッチーな意味合いだけでなく、自分を良く知る機会でもあり、その結果自分をどうしたらHappyになれるかを探る機会でもあるのだなと。

この説明は自分なりにすごく腑におちた!私は自分を試すことは好きなのですが、多くの場合「成長したい」という気持ちからきている訳ではないので、「成長の機会」というフレーズに少し違和感を抱いていたのです。

でも彼と話した後、私は挑戦することで、自分の新たな一面を発見することや今の自分を客観的にみれるようになることが好きなのだと思いました。

③ 彼らの動物の捉え方
彼の動物に対する考え方を聞いて思ったこと。

インドに来て数週間ですが、どこに行っても動物が放してあります。牛、犬、猫、豚(イノシシ?)、孔雀、他の鳥多数。そしてなぜ彼らが道路で生きていけるかというと、家庭から出た生ゴミを路上のカンに入れて彼らに餌をあげているというのです。ごくシンプルな方法で資源が循環されているのです。

おそらくインドは動物を人間と対等な存在(共存)に捉えているような気がします。それがヒンドゥ教からきているものなのか、単に社会システムが整っていないだけなのか、現時点では分かりません。

でも多くの国のように動物が人間の愛玩になっていないことは確か。たとえば日本では動物の虐待等は制限されている一方、動物が人間に害を及ぼさないように手篭めにされている感は否めません。そこに動物の意思はない。

もちろん動物が放し飼いにされている弊害もあります。牛の糞が路上に落ちているし、糞や動物にハエがたかっているし、もちろん犬に噛まれたら狂犬病が危ないし。

そしてインド人全員が動物に優しい訳ではなく、牛が入ってはいけないガーデンに入ったりするとムチで叩いたりしている人もいます。

でもインドという社会全体が、動物を囲っておらず、時に人間や車が動物のスピードに合わせて動いているのを見ると、動物を対等な存在として認識する精神が生きているのだろうと感じます。今後インドが発展してもこの精神は生き続けて欲しいなぁと思います。 

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